ムラ社会では、それぞれの善悪がある。多くの問題は、悪vs悪ではなく、自分たちが信じる善vs善の対決だ。この終わりのない衝突を解決するために、昔から日本社会で採用されてきた方法こそ、忖度だ。ムラ社会に所属する限り、忖度からは決して逃れられない……。15万部のベストセラー『「超」入門 失敗の本質』の著者・鈴木博毅氏が、40年読み継がれる日本人論の決定版、山本七平氏の『「空気」の研究』をわかりやすく読み解く新刊『「超」入門 空気の研究』から、内容の一部を特別公開する。
ムラごとに「善悪の基準」が違う
ムラ社会では、それぞれの善と悪がある
日本はムラ社会だと言われます。産業や共同体ごとに、ある特定の集団を形成しています。ムラの特徴は何かと言えば、その共同体が「独自の善悪」を設定していることです。
Aというムラ(集団)ではこれが善、これが悪、一方でBというムラではまったく別のものが善、悪とされていることがあります。
政治家の善と国民の善は同じではないかもしれません(正反対のこともあるでしょう)。同様に特定の利権産業団体にとっての善が、市民にとって悪であることもあります。この点を、山本七平氏は次の言葉で表現しています。
何よりも面白いのはまず「資本の論理」と「市民の論理」という言葉が出て来たこ
とであった(*1)。
上はイタイイタイ病という公害病に関して、山本氏が『「空気」の研究』で述べた一文です。この公害病の議論で、科学上のデータをどう扱うかを観察していたとき、山本氏が気付いたのは、双方が別の論理で公害病を捉えようとする日本社会の姿だったのです。
“父と子の隠し合い”で、ムラに不都合な現実を無視する
イタイイタイ病の、もう一つのエピソードも紹介されています。ある取材者が現地で取材をしたとき、現地の人から逆にこう聞き返されたのです。
最初にきかれたことが『あなたは、どちら側に立って取材するのか』と言うことであった。これは簡単にいえば、どの側と“父と子”の関係にあるのかということであろう(*2)
「資本のムラ」にいる人は、企業体にとって不都合なことをすべて無視します。逆に「市民のムラ」にいる人は、市民にとって重要なことしか受け入れないのです。
取材を何度か受ける中で、現地の人たちはこのムラの構造に気付いたのでしょう。
ちなみに、父と子の関係とは、『論語』の「孔子曰く、我が党の直き者は、是に異なり、父は子のために隠し、子は父のために隠す、直きこと其の中にあり」の言葉からきています。「党」とはここでは村を指します。あるムラでは父が羊を盗んだとき、子どもは父のために窃盗の事実を隠した、それが(親子の間の)正直さだとしたのです。
特定の産業ムラに属している人間は、社会通念や市民生活ではなく、その産業ムラが正義と信じる利益を善として、その反対を唱える意見や活動を悪と規定します。
ムラそれぞれの独自の善悪の規定は、ムラの空気(ある前提)とも言えます。ムラの善悪にそぐわない現実は、「父と子の隠し合い」で、無視してムラを守るのです。
*1 山本七平『「空気」の研究』(文春文庫) P.142
*2 『「空気」の研究』 P.144