日本社会では、判断基準が状況によってコロコロ変わることがある。それは今も昔も変わらない。戦時中の戦艦大和は失敗するとわかっていながら、なぜ特攻したのか。企業のプロジェクトは、成功率が低くてもなぜ強行されるのか。日本の議論にダブルスタンダードが出現する謎を探る。15万部のベストセラー『「超」入門 失敗の本質』の著者・鈴木博毅氏が、40年読み継がれる日本人論の決定版、山本七平氏の『「空気」の研究』をわかりやすく読み解く新刊『「超」入門 空気の研究』から、内容の一部を特別公開する。

日本では、なぜ議論する前から結論が決まっているのか?

日本で理不尽な「二重基準」が頻発する理由

 ニュースや議論では、「ダブルスタンダード」という言葉が時々出てきます。二重基準などとも呼ばれ、似た状況なのに違う規範が適用されることを意味します。

 われわれは常に、論理的判断の基準と、空気的判断の基準という、一種の二重基準(ダブルスタンダード)のもとに生きているわけである(*1)。

 山本七平氏は、自身が経験した戦場でも、日本軍は同じことを繰り返したと指摘します。

「これこれは絶対にしてはならん」と言いつづけ教えつづけたその人が、いざとなると、その「ならん」と言ったことを「やる」と言い、あるいは「やれ」と命じた例を、戦場で、直接に間接に、いくつも体験している(*2)。

 山本氏が戦後に理由を問いかけたとき、返ってくる答えはいつも同じでした。

 その返事は必ず「あのときの空気では、ああせざるを得なかった」である(*3)。

 ダブルスタンダードは今も頻出して、不公平や理不尽の象徴となっています。空気が判断基準をゆがませていることに、山本氏は気付いていたのです。

なぜ、沖縄戦で戦艦大和は特攻したのか?

『「空気」の研究』では、二重基準の事例として戦艦大和の特攻が挙げられています。特攻は、サイパン島が米軍によって陥落したときと、その翌年の沖縄戦で2回検討されました。

 1回目のサイパン島への特攻は、成功確率が極端に低いことを理由に却下されました。しかし、2回目の沖縄への特攻では、作戦が成功する可能性はサイパン島より低いにもかかわらず、出撃の議論は加速し続け、結局戦艦大和は出撃したのです。

 理屈から言えば、沖縄の場合、サイパンの場合とちがって「無傷で到達できる」という判断、その判断の基礎となりうる客観情勢の変化、それを裏づけるデータがない限り、大和出撃は論理的にはありえない。だがそういう変化はあったとは思えない(*4)。

 なぜ、サイパン島への特攻は拒否できたのに、沖縄では拒否できなかったのでしょうか。

「空気」=ある種の前提

 私は、空気をこのように定義しています。集団を縛る空気は、集団内である種の前提を基に考えたり、議論したりすることを強要します。

 戦艦大和の特攻は、サイパン陥落時には合理性を基準に作戦を否定できました。しかし沖縄戦のときは、議論の前に「大和は特攻すべき」という強固な前提が、すでに軍内部ででき上がっていたと考えると辻褄が合うことになります。

日本の敗戦が「確実」になって出現した前提

 では、沖縄戦に伴って出現した前提とは一体なんだったのでしょうか。サイパン(グアム島)陥落は1944年の7月。一方の沖縄戦は、翌1945年の3月から開始されています。

 二つの戦闘の最大の違いは、沖縄戦のときは「日本の敗戦はもはや確実」だったことです。そのため最強戦艦大和の処遇について、議論が紛糾していました。

 無傷で敗戦を迎えると、当然米軍側に拿捕され、無抵抗で撃沈されてしまうからです。

● 戦艦大和の処遇に最適な案がない(しかし米軍に拿捕されるのは避けたい)
● 一億玉砕が叫ばれる時期に、最強戦艦が何もしないでいられない意識

 こうした不都合な事実を一挙に解消するための案ですから、作戦の成功可能性が計画立案の根本ではありません。この点は極めて重要なポイントです。

 敗戦が避けられない当時、大和が戦闘で錦を飾り勝利する場面をつくることはもはや不可能と結論されたはずです。このような議論を重ねていた海軍上層部は「戦艦大和による沖縄特攻」を不可避とする空気(前提)に包まれていったのです。

(注)
*1 山本七平『「空気」の研究』(文春文庫) P.22
*2 『「空気」の研究』 P.16~17
*3 『「空気」の研究』 P.17
*4『「空気」の研究』 P.17