世論を味方につけられる
模範的声明文とは

 ましてや、一部報道でも伝えられているが、この元婚約者の方は決して大金持ちとかではなく、経済的にかなりカツカツの人なのだ。そのような相手が婚約者の息子ということなので400万円をひねり出したわけだ。支援だ、貸付だという見解の相違以前に、「人」として、相手の窮状に対して、おもんぱかる一言があってもいいのではないだろうか。

 法廷においては、感情に訴えるのは情状酌量で減刑を求めるケースが多い。主張が対立する相手に、感謝を伝えたり、心配したりなんてことはまずありえない。そのため、「弁護士広報」というのは、どうしても「人の道」から外れたもの言いになってしまう。

 法廷闘争を見据えればそれもしょうがないが、それがトラブルの相手をカチンと来させ、世間からも「この人って本当に大丈夫?」という不信感を抱かせてしまうのも事実なのだ。

 もし筆者が、小室さんの声明文にアドバイスをする立場だったら、今のような流れにはしない。まず、冒頭に説明が遅れたことへの謝罪をしたら、元婚約者氏への感謝と、そのおかげで大学に行くことができて、自分の可能性が広がったということに声明文の多くを割く。

 そして、支援か貸付かという問題にはほとんど言及しない。「解決済み」なんて言葉は絶対に用いず、ほんの1行程度、「母と自分としては、返済しなくていいということを元婚約者の方から説明をいただいたと認識していました」と触れるくらいの感じである。

 そして、最後にもう一度、感謝をしていることを強調し、自分たちの対応が遅れた非礼を詫びるとともに、400万円の扱いについて、「もう一度しっかりと元婚約者の方と話し合いを始めたい」という「これから」の意思表示をする。

 もちろん、声明後に元婚約者の方が「お金を貸している私には何の連絡もない。順序が違うのではないか」と怒っているように、本来は当事者と話し合いをしてから、世間に公表をするというのが常識であることは言うまでもない。

 声明を辞書で引けば、「自分の立場や考えを人々に伝えること」とある。

 小室さんが今、伝えなくてはいけないのは、「うちのお母さんは正しい」ということではない。自分の未来を支援してくれた恩人とのトラブルをどう考えているのか。そして、これをどう収めていくのか、だ。

 そのような声明を「弁護士話法」ではなく、自分自身の言葉で語ることができるまで、眞子さまの夫として、人々の信頼を得られることはないのではないか。