以前の連載「ようするにこういうこと」で、「森を見て木を見ず、葉を見て木を見ず」という話をした。経営や戦略を論じるときに陥りがちな落とし穴だ。

 ある企業がなぜ成功しているのか。その理由を説明するとき、多くの人は(おそらく無意識のうちに)「円高ドル安」とか「市場成長率」といったマクロの要因に注目する。マクロの話は目立つし、数字で出てくるのでわかりやすい。日経新聞の最初の数ページは、毎日この種のニュースであふれている。

 こうしたマクロ環境はもちろん企業の経営や業績に影響を与える。しかし、それだけで「森を見て木を見ず」だ。戦略とはあくまでも個別企業(木)の問題。同じ森(業界やマクロ環境)にあっても、ぐんぐん伸びてる元気な木からパッとしない木まで、ずいぶん大きな違いがある。この違いをつくっているのが戦略だ。一見、成熟して面白みのないような業界でも、「この木何の木気になる木」というような、独自の戦略で好業績をたたき出している企業があるものだ。

 ところが「個別企業の戦略をよく見ましょう」というと、今度は木を通り越して「葉を見て木を見ず」になりがちだ。木(戦略の全体)をとらえようとせず、葉(ぱっと目につく個別の施策)をいくつか見るだけで戦略を理解したつもりになってしまう。たとえば、新聞の一面を飾る「海外企業を買収」とか「新興市場に進出」というような話は、戦略の構成要素に過ぎない。

「3年2組の成長戦略」?

 「3年2組の成長戦略」というと、何となく違和感があるだろう。「3年2組」というのはさまざまな生徒の集合に過ぎない。戦略をもつ主体はそのクラスの鈴木くんとか古宮さんという個人なので、クラスという集計レベルで特別の戦略があるわけではない。「XYZ高校の競争戦略」ならあるだろう。高校は戦略をもつ主体になりうる。たとえば同じ地域のABC学院に対して、どのように差別化し優秀な生徒を獲得するかという話だ。

 「3年B組金八先生の戦略」ならあるかもしれない(やたらと凝集性が高いクラスなので、ひょっとしたらそこに共通の戦略が生まれるかもしれない。古い話なので意味不明の向きはどうぞスルーしてください)が、これはあくまでも例外。主体が特定できないところで戦略を議論しても意味がない。