「ただ、すごく遠い存在のように感じられましたね。あの頃は海外の試合をテレビで見られる機会がほとんどなかったし、今みたいにスマートフォンにすぐニュースが出たわけでもないので、週1回発行のサッカー専門誌で記事を読むくらいしかできなかったですから」

 川口と至近距離で遭遇したこともある。さかのぼること1997年。神奈川・川崎市内で活動するさぎぬまSCに所属していた小学校4年生の権田が、マリノスカップという大会に出場した時だった。

「プレゼンターを務めていたのが能活さんだったんですよ。思わず『やばい、川口選手だ』と焦っちゃうほど憧れていましたから。能活さんを真似して低いパントキックを蹴るようになった、あるいはボールへ果敢に飛び込むようになったゴールキーパーが、僕を含めてけっこういたと思うんですよね」

 ほどなくして川崎市選抜、そして神奈川県選抜に選出。ゴールキーパーとして将来を嘱望される存在となった権田にとって、レギュラーが約束された横浜F・マリノスをあえて飛び出し、日本人のゴールキーパーとして初めてヨーロッパへ挑んだ川口の背中は未来への羅針盤となった。

ベルギーに渡った川嶋永嗣から受けた衝撃

 迎えた2010年の秋。FC東京U-18をへて昇格したトップチームで不動の守護神を拝命。年代別の日本代表にも名前を連ねてきた権田は、イタリア人のアルベルト・ザッケローニ監督に率いられる日本代表の始動とともに招集された時に、決して小さくはないカルチャーショックを覚える。

 視線の先には守護神を務めた2010年夏のワールドカップ南アフリカ大会直後に、川崎フロンターレからベルギーのリールセSKへ移籍した川島永嗣(現RCストラスブール)がいた。

「元々すごい選手ですけど、勝負を分けるディテールに対する深みやこだわりというのは、海外へ行ったことでさらに増したんじゃないかと僕は感じました。だからこそ、ワールドカップを含めた世界大会で、高いレベルでプレーし続けられた。自分が目指さなきゃいけないところだと感じたんです」

 当時の川島は27歳。大宮アルディージャでプロの第一歩を踏み出した2001年からさまざまな外国語をマスターし、ワールドカップに出場する、しないにかかわらず、2010年夏の段階で海外へチャレンジする青写真を描き続けてきた意図を、こんな言葉で説明したことがあった。