言語をごちゃ混ぜに覚えると
子どもの脳は混乱する

植木理恵(うえき・りえ)
1975年生まれ。心理学者、臨床心理士。お茶の水女子大学生活科学部卒業。東京大学大学院教育心理学コース修了後、文部科学省特別研究員として心理学の実証的研究を行う。日本教育心理学会から城戸奨励賞、優秀論文賞を史上最年少で受賞。現在、都内総合病院でカウンセリングを行い、慶應義塾大学では講師を務める。また、気鋭の心理学者としてフジテレビ系「ホンマでっか!?TV」でレギュラーを務め、幅広い層から支持を集めている。

人の「成長」とか「学習」とかいうと、正しくて新しいことを覚えていくことを想像されると思います。しかしそれだけではありません。脳の成長とはたんにさまざまなものを足していくことではなく、さまざまなことを引き算のように削っていくことでもあるのです。私たち人間は、いらない情報か? いる情報か? ということを、子どものうちから本能的にソーティング(分類)しているわけですね。そしてそのソーティングこそが、学びの根幹なのです。

ところがどうでしょう。こういう機能をないがしろにして、英語の微妙な発音と日本語を、いわばごちゃ混ぜに教えてしまう。日本人に囲まれた生活をさせながらも、言語だけバイリンガルに育てようとする。これでは脳の言語機能はある種の混乱をきたすことになります。

まだ母国語がしっかり定着していないうちから第2言語を頭に押し込もうとすると、それらの微妙な違いを区別できなくなります。その結果、母国語も第2言語も両方の成績が悪くなるという、どっちつかずの能力しか育たない危険性があるのです。

ところで、脳が不必要なものを削るということは、人間にとってどんな利点があるのでしょうか。それは、削られずに残される情報がより強く記憶に定着する。つまり深化に向かうということです。

たとえば、何かを表現するとき、日本人なら日本語という一つの言語を用いて、あれこれ試行錯誤しながら微妙な「綾」や「深さ」を表現しようとしますよね。どう表現したら伝わるか……知っている日本語を選んだり組み合わせたりと、私たちは会話をしているときには、同時に忙しく思考を巡らせています。

一方、日本語と英語のバイリンガルの機能を持つ脳であれば、それぞれの言葉で表現を掘り下げようとするベクトルが弱くなります。日本語と英語、その両方で考えることができても、思考そのものが深まらないのです。

ですから、早期教育によるバイリンガルでありながら、どちらかの言語での文豪や文学者になることは難しいでしょう。

このことからいえるのは、物事をしっかり掘り下げて考えられるようになるには、まずは土台となる母国語をしっかりと身に着けることがとても大事ということです。

参考記事
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