外国語の越えられない壁

このような現象に付随して、心理学者の高野陽太郎氏は「外国語副作用」ということを
いわれています。それは、第2言語にどれほど習熟しても、母国語の人と話をするときには越えられぬ壁があり、必ずマイナスの作用が伴うというものです。
たとえば、あなたが日本人の知り合いと会話をしているところを想像してみてください。

相手が話をしているとき、あなたは相手のしゃべっていることを1から10まですべてちゃんと聞いているでしょうか? 相手の目を見ながら熱心に話を聞いていたとしても、じつは100%漏らさず話を聞いているわけではありません。すべてを聞くのは、不可能なことなのです。
なぜなら、話を耳に入れながら、「これにはこういう返事をしよう」とか「相手の話に賛成できそうか?」というように、常に会話の次の一手を考えなければ会話が流れていかないからです。相手の話をヒアリングすることと、次に自分が何を話すかを考えることの2つの作業を同時に行わなければならないのです。無心に話を聞くだけという状況は、ほとんどないでしょう。

会話とは、ヒアリングしながら自分の意見を考えること。つまり、デュアルタスク(二重の仕事)をこなすことが必要なわけです。ところが、学習によって身に付けた英語でイギリス人と会話をすれば、相手がしゃべる内容を聞きとることに100%集中せざるを得なくなりますね。聞き逃すまい、ということで頭がいっぱいになります。デュアルタスクどころではなくなります。

自分が次に何を話そうかといったことまで頭が回らないので、深い会話が成立しづらい。外国語でコミュニケーションをとるのはいかにも知的ではありますが、じつは思考がおろそかになるという副作用もあるのです。