「3店舗目までは順調だったが、4店舗目を出そうというときが大変だった。当時、中国経済はどんどん拡大し、上海のような大都市では地価も物価もどんどん上がっていた。例えば半年前に4万元で借りられた空き店舗の家賃が、あっという間に2倍、3倍になる。だから既存店舗が順調でも、新規出店のための費用捻出がものすごく大変だったの」

 99年、丁はある物件に目をつけた。

「上海の中心部にショッピングモールがオープンし、飲食店のテナントを募集していたの。そこの社長は『大漁』の常連客で、俺に声をかけてきた。『ぜひ、うちでやってほしい』と。でも、家賃がめちゃ高かったの。例えば2店舗目の店は、米国領事館からすぐ近くという好立地に、広さ250平方メートルで家賃は2万元。それが、ここは400平方メートルと広かったけど8万元。さすがの俺もちょっと自信がなかった」

 当時の中国ではショッピングモール自体が珍しく、また百貨店などで食事をする文化もまだなかった。本当に客は集まるのか。集まらなかったら家賃だけで倒れてしまう。丁は悩みに悩んだ末、決断を下した。

「飲食などの水商売に、銀行がなかなか融資しようとしないのは日本も中国も同じ。かといって、自己資金ではとても新規出店は無理だった。だからモールの社長に半分冗談で言ったんだ。『5万元にしてくれたら出してもいいよ』と。そしたらOKが出ちゃったの。実際5万元でも厳しかったけど、言った以上はやらないと俺のメンツが立たない。慌てて、資金調達に動いたんだ」

投資家からの出資を断り
ヤクザからの借金を選ぶ

 当時、目新しい日本風の鉄板焼き店をオープンし、繁盛させている丁のもとには頻繁に出資の申し出があったというが、丁はことごとく断っていた。なぜか。

「利益だけが目当ての投資家のカネを入れれば、経営に口を挟まれる。それが嫌だった。自分の理想の形ができるまでは、自分だけの考え、意思で経営したかったの」