僕はP&Gを退職したあと、いくつかのキャリアを経て、ソニーという会社に身を置くことになった。卒業する直前には、クリエイティブセンターという部署で、新規事業創出を行う社長直轄プロジェクトを立ち上げる経験をさせてもらった。
もともとソニーは、オリジナルなものを発想するということにかけては、世界でもトップクラスだった企業であり、そのようなイノベーション文化を社内に再興するということが、このプロジェクトの裏ミッションだったのだ。
その前年に僕は、米シカゴにあるイリノイ工科大学デザイン・メソッドの修士課程に留学し、本格的に「デザイン思考」を学んだ。
アメリカで最も早くデザイン分野の博士課程プログラムを設置したイリノイ工科大学は、デザインスクールとして世界的に有名なスタンフォード大学D.Schoolよりも前から「デザイン思考」をメソッド化してきたいわば「本家」とも言える学校である。
まだMBA留学がほとんどだった当時、わざわざアメリカのデザインスクールに留学する人はほとんどいなかった。そのため、僕の留学記ブログは一定の注目を集め、帰国してからはそこで学んだことを『21世紀のビジネスにデザイン思考が必要な理由』という本にまとめさせていただく機会もいただいた。
今回は、つかみどころのないこの「デザイン思考」について、よくある誤解を取り上げておこう。
まず、ごく初歩的なことを言えば、デザイン思考をはじめるうえでは、本人に芸術・デザインに関わる「センス」はさしあたって必要ない。
これはあくまでも、デザイナーが一定の制作物を生み出すときに行う思考プロセスを抽象化し、ビジネスの世界で誰にでも利用できるかたちに落とし込んだフレームなのだ。
言い換えると、創造における自転車の「補助輪」のようなものであり、美的センスがあるかどうかという話とは、いったん切り離して考えてかまわないのである(もちろん、センスがあるなら、それはそれですばらしい)。
これはデザイン思考の基本中の基本と言ってもいいが、僕もいまだにたくさんの人から「デザイン思考ですか……。でも私、絵心ないんですよね……」「僕、『図工』はいつも『2』でしたから……」などと言われることがある。
日本語の「デザイン」という単語には、とくに「美術的なもの」との結びつきが強いニュアンスがあるため、こうした誤解を生んでしまっているのだろう。
かといって、これ以外にいい訳語があるわけでもないので、僕も「デザイン思考」という言葉を使い続けている。