ゴーン元会長を追放したのは
「ゴーンチルドレン」西川廣人社長

 あれから30年余を経て、仏ルノー連合を組んだ新生日産に約20年も君臨してきたトップを追放した主役は、「ゴーンチルドレン」と言われてきた西川廣人社長だった。

 結果的には検察の力を借りて“クーデター”が実現したが、本来なら社内クーデターでやるべきことを、自力でできなかったのは、ある時期から日産の企業統治におけるゴーン氏の支配力があまりにも強く、取締役会をはじめ、他のガバナンスが機能していなかったということだ。

 筆者もゴーン日産をウオッチする中で、初期の日産V字回復やしがらみのないリストラや風土改革などゴーン流経営を評価していた。その感想は「日産もしっかり外資になったな」であった。

 しかし、ゴーン流経営で日産が復活し、ルノーもそれを高く評価したことで、2005年にゴーン体制はルノーと日産両社を率いることになり、それによって大きな変化を迎える。逆に言えばゴーン流のピークはここまでだったのだ。

「リバイバルプラン」(2000~2001年度)でV字回復を果たし、続く「日産180」(02~04年度)の中期経営計画でコミットメント(目標必達)経営を見事に示したが、その後の「日産バリューアップ」(05~07年度)では世界420万台を掲げたが未達に終わり、目標達成を1年先延ばしにした。07年4月に発表された06年度決算はゴーン体制にとって初めての減益となった。

 その後、リーマンショックを経ての「リカバリープラン」(09~10年度)では大規模なリストラ策が功を奏して増収増益に転じた。しかし、それもつかの間で、2011年6月に「日産パワー88」(~16年度)で世界販売シェア8%、売上高営業利益率8%という攻撃的なコミットメントを打ち出したが、この間いずれも未遂で業績も後退したのがゴーン日産経営20年間の総括である。

「ゴーン経営も賞味期限切れか」。そう言われはじめたのも12年以降だ。