強すぎる責任感が
撤退できぬ病の根幹

 そのあたりは、歴史学者・戸部良一氏の「戦争指導者としての東條英機」(防衛省 戦争史研究国際フォーラム報告書)に詳しい。

 現地軍の苦境を知った大本営は、当時のビルマへ秦彦三郎参謀次長を派遣した。彼が帰国後、「作戦の前途は極めて困難である」と報告をしたところ、東條英機は「戦は最後までやってみなければわからぬ。そんな弱気でどうするか」と強気の態度を示したというが、実はこれは心の底からそう思ったわけでもなければ、確固たる信念から口に出たことでもなかった。

《この報告の場には、参謀本部・陸軍省の課長以上の幹部が同席していたので、東條としては陸軍中央が敗北主義に陥ることを憂慮したのであろう。このあと別室で2人の参謀次長だけとの協議になったとき、東條は「困ったことになった」と頭を抱えるようにして困惑していたという》(「戦争指導者としての東條英機」より)

 東條英機も撤退しなくてはいけないことは頭ではわかっていたのだ。が、わかっちゃいるけどやめられなかった。重度の「撤退できぬ病」にかかっていたことがうかがえる。

 では、なぜこうなってしまうのか。病の根幹は「セクショナリズム」と「強すぎる責任感」である。

 秦彦三郎によると、《インパール作戦は現地軍の要求によって始まった作戦であるので、作戦中止も現地軍から申請するのが筋である》(同上)という考えが大本営にあった。一方、大本営にいた佐藤賢了は、東條英機を「独裁者でなく、その素質も備えていない」として、こう評している。

「特に責任観念が強過ぎたので、常に自己の責任におびえているような面があった」(佐藤賢了の証言 芙蓉書房)