「魂」を磨く方法とは?

  一般に、人間が日常生活で重きをおいていることは、収入や財産を増やすことや、評判や名誉を獲得することなどです。しかし、ソクラテスはそれについて「恥ずかしくないのですか?」と問いをすすめ、「よい」について追求しました。

 普通の人が言う「よい」は「金儲けができるからよい」とか「名誉があるからよい」であって「魂がよい」わけではないというのです。つまり、結果の効率性が「よい」(近代では帰結主義という)だけであって、その本質的な心の中心が「よい」のではありません。

 だから、肉体や物レベルへの思慮よりもまずもって内面的な「魂」に目を向けるべきだというわけです。「魂を配慮」して「よく生きる」と金や権力を犠牲にすることが多々あるでしょう。

 ソクラテスのこの主張も反感をかいました。ソクラテスの主張によれば、財産や名誉を失うことはある。でも、真に配慮すべきなのは、思慮が働き真理が求められる場としての「魂」のよさです。そこでは快楽が得られるかではなく、善悪の価値が重要視されます。配慮が向かう魂こそが自分自身であり、そのよいあり方が最高にパフォーマンスを発揮した状態が「徳」(アレテー)と呼ばれます。

 ソクラテスは、このような信条のもとに、人々と対話する活動を行っていたのですが、判決は死刑となりました。死刑と言っても当時は、牢番に賄賂を贈って国外逃亡すればそれでよかったのですが、ソクラテスは、ど真面目に死刑になってしまったのです。ソクラテスは有罪投票をした人々に向かって、「ソクラテスを殺して人生の吟味、つまり哲学から解放されたと思ったら大間違い」と語りかけました。自分をアブにたとえて、これを叩き潰しても、次のソクラテス的な使者が送り込まれると予言したのです。

 ソクラテスの思想は後の哲学史のスタートとなり現代にまで影響を与えています。ホントウのことを言うと消される―。イエスの磔刑に重ねられることもあり、まさに、予言は的中したといえるようです。

人生で役に立つこと
自分が知っていると思い込んでいることに対して「それは何か」「なぜか」と問いかけていくことによって、知識の確認をすることができる。あやふやな知識がよりシャープに研ぎ澄まされ、モノの本質が見える。