近未来に出現する超人とはなんだろう?
最高の価値を失った人間に、ツァラトゥストラは、ニヒリズムの最も極端な形式とされる「永遠回帰」を説きます。本書の第4部で、ツァラトゥストラは「超人」を教えるべく、「永遠回帰」と「運命愛」の思想を広めようとするのです。この世界には、「神の創造」による始まりもなければ、「最後の審判」という終わりもありません。キリスト教では、神の国を目指して過去から未来への直線的な世界観がありました。しかし、神が死んだニヒリズムの世界では、生が意味も目標ももたず、創造と破壊を無限に繰り返す円環状の世界となります。映画『ニーチェの馬』(タル・ベーラ監督、ハンガリー映画、2011年)では、この無意味な世界観を独特な映像美で表現しています。
「君は今生き、またこれまで生きてきたこの生を、もう一度、いな数限りなくくり返し生きねばならず、そこには何の新しいこともなく、すべての苦悩も快楽も思想もため息も、君の生のすべてが最大もらさず再来し、いっさいは同じ系列と順序に従う」(同書)
意味もなく同じことの繰り返しという「永遠回帰」の世界においては、未来への希望もなく、いっさいが空しくなります。「永遠回帰」はニヒリズムの最高形態です。
でも、ツァラトゥストラは、意味のない世界から逃げることをせず、ありのままに世界を肯定するべきであることを説きます。
何度も繰り返される無意味な人生を「これが生だったのか、それではもう一度!」(同書)と受け入れるのです。そういう態度をニーチェは「運命愛」と呼び、そのように生きうる人を「超人」と呼んだのです。
「その人は、いつかはわれわれのもとに来るであろう。世を救う人は、大地に目標を与える人は「超人」と呼ばれる」(同書)。
神なき時代に、超人は世界に新たな価値を与える存在となります。現代の私たちは近未来に出現する「超人」を期待して、その「肥やし」となって(自己を没落させて)生きるのです。
苦しいことがあったら「これを無限回繰り返せるだろうか?」と自分に問うてみよう。たいていは「とんでもない!」と思うが、そこを頑張って、「これが人生だったのか、よしもう一度」と肯定する習慣をつけるとよいだろう。