安藤百福

 NHKの朝ドラ『まんぷく』のモデルとしても注目を浴びた日清食品の創業者、安藤百福氏(1910年3月5日~2007年1月5日)。言わずと知れた「チキンラーメン」「カップヌードル」の開発者でもある。

 終戦直後の大阪――。寒空の下、闇市の屋台の周りに一杯のラーメンを求めて大勢の人が並んでいるのを見て、麺類好きの日本人に向け、家庭ですぐ食べられるラーメンの開発に取り組んだ。自宅の裏庭に建てた小屋で、寝る間も惜しんで研究を続け、58年8月、お湯をかけて2分でできるチキンラーメンが誕生した。

 チキンラーメンの大ヒットにより、すぐに市場には類似品が出回った。日清食品が60年に類似品販売業者を不正競争防止法違反で訴えたところ、類似品業者12社が逆に「全国チキンラーメン協会」を設立し、「チキンラーメンはチキンライスと同様、普通名詞である」と主張、特許庁に異議を申し立てるという事態となった。

 61年、最終的にチキンラーメン戦争は、商標と製法特許において日清食品側が勝利するが、続いて勃発したのが、スープ別添タイプのインスタントラーメンの特許紛争だ。こちらも100メーカー以上が参入する過当競争となり、異なる製法特許を主張するメーカーごとに即席ラーメンの“協会”が全国に乱立した。

 業界の混乱ぶりに、最後は食糧庁が「業界の協調体制を確立すべし」との勧告を出すまでに至り、64年6月に日清食品など56社が「日本ラーメン工業協会」を設立、安藤氏が理事長に就任した。

 このインタビュー(談話)は、協会発足から3ヵ月後のものであり、その話題にも触れている。

 安藤氏が次に開発したカップヌードルは発売が71年9月なので、この記事のさらに7年後のこととなる。翌72年の浅間山荘事件のニュース映像に映り込み、知名度を上げたのも、よく知られるところだ。そしてカップヌードルでもまた、類似品が次々と発売され、特許紛争が再燃するのだった。(ダイヤモンド編集部論説委員 深澤 献)

ヤナギの下にドジョウが200匹

『週刊ダイヤモンド』1964年9月21日号より 拡大画像表示

 日清食品がチキンラーメンを製造発売して以来6年になる。企業そのものは急速に成長しているが、産業界における実績から見ると、まだ大きな顔をして経営理念を語る資格はなさそうだ。

 私は企業を大きくすることだけが目的ではなかった。ラーメンという大衆食品をいかにしてマスプロ化し、インスタント食品として商品化するか。そして、それがいかにして消費者に喜ばれる製品となるかについて、心を砕いてきたつもりだ。

 ラーメンは決して高級食品にはならない。どこまでも30円くらいで1食を済ませる一般大衆のものである。いかに日清食品が大企業に成長しても、私たちは常に大衆消費者をお客にし、それを味方にし、またその味方でなければならないという信念を持っている。

 ヤナギの下にドジョウが2匹いるというが、われわれの業界には大小合わせて200社ほどある。これらの強豪進出も、なかなか激しいものがあるが、私どもの社の製品が創業以来、ひとり生産が間に合わない盛況下にある理由は、栄養、味覚、材料等において、また製法や設備においても明確に格差をつけていることだと自負している。日清食品の製品が品切れで代用で間に合わせても、味覚というものほど正直なものはない。ごまかしの利かないものだけに、やはり日清食品に帰ってこられる。