無能な人間、バカな人間の「自由」とは?
(1)有能・無害な人間 → 自由にさせても誰の自由も奪わない
→ゆえに自由を保証
(2)有害な人間 → 自由にさせると『他人』の自由を奪う
→ゆえに自由を制限
(3)無能な人間 → 自由にさせると『自分』の自由を奪う
→(自己責任として)自由を保証する? しない?
「3番目、無能な人間、バカな人間……さあ、ここが自由主義の考えどころだ。自由主義はその名の通り、自由を第一に考える立場であり、幸福についてはさほど興味はない。ゆえに、人間の行為については、幸福になるか不幸になるかではなく、『人間が持つ絶対的な権利である自由』を『侵害するかどうか』についてだけを論点として、その是非を考える」
「もちろん、自由主義者の中には、こんな極端な考え方を受け入れられないという人もいるかもしれない。が、そういう人は弱い自由主義者なので放っておこう。常々思っていることだが、自由主義の原理原則に従わないくせに自由主義者、リベラルを名乗るような連中が私は嫌いだ。善悪の問題でもなく、呼称の歴史的経緯の問題でもなく、とにかく物事の分類をややこしくする連中が私は嫌いなのだ。彼らは、世界をシンプルにするために自ら率先して功利主義、幸福主義を名乗るべきだろう」
先生は吐き捨てるように言った。
どうも先生は、無駄に物事を複雑にする人々がとてもお嫌いらしい。
「話を戻そう。今ここに書いた、1番目と2番目の人間について、自由主義の結論はシンプルだ。他人の権利を侵害しない人の権利は保証するが、他人の権利を侵害する人の権利は保証しない。言い換えると、他人の自由を奪わないなら好きにしろ、奪うなら容赦しないぞ、だ。さて、ここまでは、とても論理的に整合のとれる話であろう」
「だが、問題なのは、3番目の無能な人間―自由にさせると自らの自由を阻害してしまうという自由主義にとってまるでパラドックスのような人々についてだ。もちろん、彼らが自由な意志で自分の自由を放棄しているのならいい。それは人それぞれの趣向だと、一種の縛りプレイを楽しむような個人的な好みなのだと、理解することができる。しかし、そうではなく、無自覚に自分の自由を放棄してしまう人間についてはどうすればいいだろうか?」
「支援して救済するべきだと思います」
「放っとけばいいじゃない」
倫理とミユウさんは同時に正反対の発言をした。
次回に続く。