投資にまつわる
永遠不滅の真理
長い間、「貯蓄から投資へ」ということが言われ続けてきたが、現実に投資をする人がそれほど増えているかといえば、日本人の保有する金融資産の内容を見る限りにおいては、それほど増えているとは思えない。
そんな中、金融リテラシーを向上させれば投資をする人が増えるとばかりに、金融庁をはじめ、各団体が投資教育や金融教育の重要性を積極的に訴えている。しかしながら、その割にはあまり実効性が上がっていない。
よく「日本人は農耕民族だから投資には不向きだ」という意見を言う人もいるが、それは少し違うだろう。昨年の仮想通貨の騒動やFXに関する指南書が所狭しと書店に並んでいる光景を見ると、投資はもちろん、割と投機も好きなのではないかとさえ思える。筆者は別に投機自体も悪いことだとは思っていないが、どうも世の中には投資は良いことだが投機は悪いことだと思っている人も多いようだ。
実際、「投機と投資は違う、正しい投資を教えなければならない」と主張する人も多い。もちろんそれ自体は間違ってはいないのだが、筆者はどうも、この「投資教育」とか「金融教育」という言葉に強い違和感を覚える。
そもそも「投資教育」という言葉自体、日本ではかなり“上から目線”のイメージが強い。「投資のやり方を教えてあげる」「投資を正しく指導する」という含意を感じるのだ。しかし、投資のやり方に絶対的な正解はない。その人の性格やリスク許容度、そして市場の環境によって方法は変化して当然だし、「これが絶対正しい投資方法だ」などというものは存在しないのである。
投資に関して普遍的な永遠不滅の真理はたった2つしかない。それは「先のことは誰もわからない」ということと「世の中にうまい話はない」ということである。
正直言って、この2つを表面的ではなく、腹の底から実感して身につけていれば、投資でそうそう大きな損をすることはないし、怪しげな商品にだまされることもないだろう。誰もが「そんなことは常識だ、当たり前じゃないか!」と言うだろうが、いざとなるとこの2つを忘れてしまうことが多いのだ。もし投資教育というものが必要なのだとすれば、大事なことは単に投資のやり方を教えるのではなく、原理原則であるこの2つをきちんと腑に落ちるまで説明すると同時に、自分で判断することの大切さ、そしてそのために必要な勉強の仕方を教えることの方が、ずっと大切なのだ。