「退屈」とは仏道修行に挫折して精進しなくなること
今回は「お寺の掲示板大賞」を主催している公益財団法人仏教伝道協会の掲示板です。仏教伝道協会はお寺ではありませんが、「お寺の掲示板大賞」を機に、ビルの前に掲示板を設けるようになりました。今回、この掲示板に関する投稿がありましたので、紹介させていただきます。
これは毎日新聞朝刊に週1回連載されていた『毎日かあさん』などで知られる漫画家の西原(さいばら)理恵子さんの言葉で、『洗えば使える泥名言』(文藝春秋)の中に出てきます。いまは高須クリニックの高須克弥院長のパートナーとしても知られていますね。夫の病と死など、人生の中でさまざまな修羅場をくぐり抜けた西原さんだからこそ説得力がありますし、この言葉に共感する方は多いのではないでしょうか。この本の中にはこんな言葉もありました。
「『この人のことを憎み始めたら疲れてるな』という基準になる人がいるんです。そのレベルで止めておかないと、どんどん憎しみが増殖して帰ってこれなくなる」
西原理恵子『洗えば使える泥名言』(文藝春秋)
仏教には「怨憎会苦(おんぞうえく)」という言葉があります。人生の中で避けられない苦しみの1つであり、「嫌いな人や苦手な人に必ず出会わなければならない苦しみ」を指した言葉です。お釈迦さまもおっしゃるくらいですから、人格者と呼ばれる人でもまわりに1人や2人は苦手な人が必ずいると思います。自分にとって苦手な人と接すると憎しみの気持ちが湧いてきますので、西原さんのように自分の憎しみのレベルや置かれている状況を冷静に分析する行為は非常に大切です。
またそのような感情は、確かにヒマを持て余しているときに湧き上がってくることが多いです。ヒマなことを「退屈」とも表現しますが、この「退屈」という言葉はもともと仏教に由来していて、「仏道修行の厳しさに屈して、退いてしまうこと」を意味します。つまり、ヒマという状態は、「仏道修行に挫折して、精進しなくなること」を指す言葉なのです。
退屈な状態になり、目標を見失い、集中力を失うと、心の中に雑念が湧いてきます。
この雑念は「憎む」だけではありません。悩んだり、不安になったり、心配になったりすることも「ヒマ(退屈)な証拠」といえます。アメリカの作家で自己啓発に関する著書が多数あるデール・カーネギーは、『道は開ける』の中で、コロンビア大学のジェイムズ・L・マーセル教授の言葉を紹介しています。
「悩みは人間が活動している時ではなく、一日の仕事が終わった時に人間に取りつき、害をなすことが最も多い。そんな時には、やたらに妄想がほとばしり、あらゆる種類の馬鹿げた可能性を拾い上げ、取るに足らない失策をひとつひとつ拡大して見せる。こんな場合には、あなたの心は荷重なしに動いているモーターそっくりだ。空転したまま軸受けを焼き尽くすか、粉々になってしまう恐れがある。悩みに対する治療法は、何か建設的な仕事に没頭することだ」
D・カーネギー『道は開ける』(創元社)
結局のところ、何らかの目標を持って、仕事でも遊びでもいまの状況に没頭することが悩みや憎しみを解消する1つの手段といえるでしょう。悩みや憎しみに取りつかれている方は、まず自分の置かれている状況を冷静に見つめ直してみてはいかがでしょうか?
今年も7月1日より「輝け!お寺の掲示板大賞2019」がはじまりました。
全国のお寺の掲示板作品を10月31日までお待ちしております!
(解説/浄土真宗本願寺派僧侶 江田智昭)