倒産寸前から、売上「3倍」、自己資本比率「10倍」、純資産「28倍」、26年連続黒字!
26年近く前、メインバンクからも見放された「倒産寸前の会社」があった。株式会社日本レーザー。火中の栗を拾わされた、近藤宣之・新社長を待っていたのは「不良債権」「不良在庫」「不良設備」「不良人材」の「4つの不良」がはびこる《過酷な現場》だった。さらに、大腸ガンなど数々の修羅場が待っていた。しかし、直近では、売上「3倍」、自己資本比率「10倍」、純資産「28倍」。10年以上、離職率ほぼゼロという。
絶望しかない状況に、一体何が起きたのか?
一方、鉄工所なのに、「量産ものはやらない」「ルーティン作業はやらない」「職人はつくらない」。なのに、ここ10年、売上、社員数、取引社数、すべて右肩上がり。しかも経営者が鉄工所の火事で瀕死の大やけどを負い、1か月間、意識を喪失。売上の8割の大量生産を捨て、味噌も買えない極貧生活からのV字回復を果たしたのが山本昌作HILLTOP副社長だ。
記者は数々の経営者を見てきたが、これだけの修羅場をくぐりぬけ、いつも笑顔の経営者は日本でもこの両者しかいないと確信。
そこで企画したのが、『ありえないレベルで人を大切にしたら23年連続黒字になった仕組み』『倒産寸前から25の修羅場を乗り切った社長の全ノウハウ』の著者・近藤宣之氏と『ディズニー、NASAが認めた 遊ぶ鉄工所』の著者・山本昌作氏による「世紀の修羅場経営者対談」だ。ついに、両者が京都の宇治市にある、HILLTOP本社に集結した。すると初対談はなんと4時間に及んだ。その熱い対談を5回に分けて特別にお送りしよう。あっという間の4時間という濃い中身。修羅場体験からしか見えてこない情景から今後の人生をぜひ考えていただきたい。(構成・藤吉 豊)
【著者】近藤宣之(Nobuyuki Kondo)
写真・左
株式会社日本レーザー代表取締役会長
1944年生まれ。慶應義塾大学工学部卒、日本電子株式会社入社。28歳のとき、異例の若さで労組執行委員長に推され11年務める。取締役アメリカ法人支配人などを経て、赤字会社や事業を次々再建。その手腕が評価され、債務超過に陥った子会社の日本レーザー社長に抜擢。就任1年目から黒字化、以降25年連続黒字、10年以上離職率ほぼゼロに導く。役員、社員含めて総人員は65名、年商40億円で女性管理職が3割。2007年、社員のモチベーションを高める視点から、ファンドを入れずに(社員からの出資と銀行からの長期借入金のみ)、派遣社員・パート社員を除く現在の役員・正社員・嘱託社員が株主となる日本初の「MEBO」(Management and Employee Buyout)で親会社から独立。2017年、新宿税務署管内2万数千社のうち109社(およそ0.4%程度)の「優良申告法人」に認められた。日本商工会議所、経営者協会、日本生産性本部、中小企業家同友会、日本経営合理化協会、関西経営管理協会、松下幸之助経営塾、ダイヤモンド経営塾、慶應義塾大学ビジネス・スクールなどで年60回講演。第1回「日本でいちばん大切にしたい会社」大賞の「中小企業庁長官賞」、第3回「ホワイト企業大賞」、第10回「勇気ある経営大賞」など受賞多数。「人を大切にする経営学会」の副会長も務める。著書に、『倒産寸前から25の修羅場を乗り切った全ノウハウ』『ありえないレベルで人を大切にしたら23年連続黒字になった仕組み』(以上、ダイヤモンド社)などがある。
【著者】山本昌作(Shosaku Yamamoto)
写真・右
HILLTOP株式会社代表取締役副社長
1954年生まれ。立命館大学経営学部卒業後、母に懇願され、全聾の兄(現代表取締役社長)のためにつくった有限会社山本精工に入社。自動車メーカーの孫請だった油まみれの鉄工所を、「社員が誇りに思えるような“夢工場”に」「“白衣を着て働く工場”にする」と、多品種単品のアルミ加工メーカーに脱皮させる。鉄工所でありながら、「量産ものはやらない」「ルーティン作業はやらない」「職人はつくらない」という型破りな発想で改革を断行。毎日同じ部品を大量生産していた鉄工所は、今や、宇宙やロボット、医療やバイオの部品まで手がける「24時間無人加工の夢工場」へ変身。取引先は、2018年度末で世界中に3000社超になる見込。中には、東証一部上場のスーパーゼネコンから、ウォルト・ディズニー・カンパニー、NASA(アメリカ航空宇宙局)まで世界トップ企業も含まれる。鉄工所の平均利益率3~8%を大きく凌ぐ「利益率20%を超えるIT鉄工所」としてテレビなどにも取り上げられ、年間2000人超が本社見学に訪れる。生産性追求と監視・管理型の指導を徹底排除。人間が本来やるべき知的作業に特化し、機械にできることは機械にやらせる24時間無人加工を実現。「ものづくりの前に人づくり」「利益より人の成長を追いかける」「社員のモチベーションが上がる5%理論」を実践。入社半年の社員でもプログラムが組めるしくみや、新しいこと・面白いことにどんどんチャレンジできる風土で、やる気あふれる社員が続出。人間本来の「合理性」に根ざした経営で、全国から応募者が殺到中(中には超一流大学の学生から外国人学生までも)。鉄工所の火事で1か月間意識を失い、3度の臨死体験をしながらも、2002年度、2006年度「関西IT百撰」最優秀企業。2008年度「京都中小企業優良企業表彰」、2011年度「経営合理化大賞 フジサンケイビジネスアイ賞」、2016年度には日本設備管理学会「ものづくり大賞」など数々の賞を受賞。2017年12月、経済産業省による「地域未来牽引企業」に選定。経営のかたわら、名古屋工業大学非常勤講師、大阪大学非常勤講師、ダイヤモンド経営塾講師など精力的に活動中。「楽しくなければ仕事じゃない」がモットー。著書に、『ディズニー、NASAが認めた 遊ぶ鉄工所』(ダイヤモンド社)がある。
命の危機にさらされた2人の経営者
近藤:山本副社長の著書、『ディズニー、NASAが認めた 遊ぶ鉄工所』を拝読しました。
鉄工所でありながら、「量産ものはやらない」「ルーティン作業はやらない」「職人はつくらない」といった型破りな発想を次々と実現されていて、読後の印象は、「なんてパワフルで、なんて思い切りがよくて、なんてすごい経営者なのだろう……」と。
山本:いえいえ! 僕はまったくすごくないです。
ただもう、自分のわがままというか、夢をずっと追いかけてきただけですから。
近藤:2003年には工場火災に見舞われて、死線をさまよったそうですね。壮絶な体験だと思います。
山本:全身の約30%が焼けただれてしまい、包帯で全身を覆われ、ミイラのようでした(笑)。気道熱傷による肺水腫で呼吸もできなかったので、喉を切り開いて人工呼吸器を装着して命をつないだのです。
病院に運ばれてから1週間後に危篤状態に陥って、目が覚めたのは1ヵ月後でした。
自由落下の点滴では体に入らないので、1日6リットルの生理食塩水と栄養、抗生物質をポンプ付きの点滴で押し入れていたそうです。
入院から4ヵ月後に退院できましたが、炎症による発熱はそれから1年以上続いて、真冬でも、焼けただれた両腕を氷水に浸す生活が続きました。まさに生き地獄でしたね。
近藤:私も命の危機にさらされたことがあります。47歳のときに、鶏卵(けいらん)大の腫瘍が見つかったんです。大腸ガンでした。
1回ではガンを取り除けなくて、日を置いて2回目の手術をしたのですが、もう少し発見が遅かったら、取り返しがつかなかったと思います。
夢を持つから道が開ける
近藤:生き地獄から生還したあと、ご自身の中で心境の変化はありましたか?
山本:つらいリハビリに耐えながら、
「自分に残せるものは何か」
「自分が死んでも受け継がれていくものは何か」
を考えるようになりました。
その答えが、「油まみれの無残な鉄工所を、社員が誇りに思える夢工場にする」ことでした。
僕は、「夢を持つことで道が開ける」と考えています。
ですから、社員が自由な感性を磨きながら、伸び伸びと夢を描ける工場を残したいと強く思うようになったのです。
人間が人間らしく働ける場をつくることこそ、経営者の仕事ではないかな、と。
近藤:私も山本副社長と同じで、「夢を追いかけること」が成長の源泉だと思っています。
私の名刺の右肩に、「夢と志の経営」という言葉を入れているのは、「経営者が夢と志の経営を決断すれば、社員も会社もイキイキと成長する」と信じているからなのです。
社長は、「どんな会社にしたいのか」「どんな事業をやりたいのか」「自分は何がしたいのか」「社員にはどうあってほしいのか」といった「夢」と「志」を明文化しておく必要があります。
なぜなら、社長の思いの方向と強さが、そのまま経営に反映されるからです。
山本:HILLTOPの工場見学を終えた社長から、
「これほど立派な工場があれば、夢も膨らみますね。うちみたいな小さな会社では、どだい無理な話です」
と言われたことがあります。でもこの社長は、勘違いをしています。
工場が立派だから夢が膨らむのではなくて、「夢工場をつくるぞ!」「白衣を着て働く工場にしてみせるぞ!」という夢を持ち続けたから、「24時間無人稼働の工場」が完成したんです。「夢が先」「想いが先」なんですね。