はい。多額の研究費を投じながら、なかなか成果が出ないということは本当に辛いです。研究者にとって、数多くの「関門」が待ち構えているからです。

電池1次電池は、乾電池などの使い捨ての電池を差す。2次電池とは、充電することによって再利用が可能になる電池のこと。現在、さまざまな分野で普及が進んでいる 写真提供:旭化成 吉野研究室

 私の場合は、代表的な3つの関門を全て経験しました。順を追って説明すると、(1)「悪魔の川」(81~85年)はポリアセチレン(電気を通すプラスチック)の研究から始まり、現在のリチウムイオン2次電池につながるまでの基礎研究の段階での辛苦、(2)「死の谷」(86~90年)は事業化に向けた研究開発に進むことはできましたが、次々に出てくる解題の解決に追われてなかなか事業化の判断に踏み切れなかった辛苦、(3)「ダーウィンの海」(90~95年)は新規工場が完成してリチウムイオン2次電池を世の中に出せはしたが、しばらく売れずに本格的に市場が立ち上がるまでに数年間を要したという辛苦、です。

 研究開発では、私は「ねばり強さ」「楽観的な姿勢」「時代の流れを読む嗅覚」の3つが必要だと考えています。ごく単純化して言えば、研究開発とは世の中のニーズと技術のシーズを合致させることですが、ニーズもシーズも常に動くからこそ、難しい。研究開発というものは、そもそも失敗が多いのですから、必要に応じて軌道修正して、仮説と検証を繰り返す。私は、80年代の初頭より、「いずれ電子機器を持ち歩く世の中がやって来る」と確信していました。

「現在」から発想せずに
「過去」から将来を予測

――ところで、かねて吉野さんは「考古学で論理的思考を鍛えた」と発言していますが、考古学とリチウムイオン2次電池はどうつながるのですか。

 私は、高校時代の教師の導きで、古代遺跡の発掘調査の一部を手伝わせてもらったことから、考古学という学問に興味を持ちました。その後、京都大学の教養課程(1~2年)ではどっぷり浸かっていました。京都や奈良の廃寺跡などで発掘作業を手伝うことが、面白くて、面白くて、仕方がなかった。