受賞理由「現場での実証実験に基づいたアプローチ」とは?

 受賞理由の1つである「現場での実証実験に基づいたアプローチ」はこの2つの例を見てもよくわかるのではないだろうか。ケニア、インドの実際の小学校という舞台で、子どもの出席率、疾患率、先生の出席率、そして教育の質の改善を図ろうとするこのような取り組みにはまさに「現場」の視点がくっきりと出ている。

 受賞者らの実証実験におけるアプローチで特筆すべきなのは、特定の介入の効果を測定する際の方法論だ。これはRandomized Controlled Trial(RCT)と呼ばれ、日本語では「ランダム化比較実験」とも訳されている。もともとは自然科学、特に医療・製薬の分野で使われている手法で、途上国支援ではほとんど使われてこなかったアプロ―チだ。具体的には、以下の特徴がある。

1) 性質の類似した、介入をするグループ(トリートメント群)と介入をしないグループ(コントロール群)を区別する
2) 介入する対象やデータを集める対象サンプルをランダムに選ぶ
3) トリートメント群とコントロール群の差を見て、介入の効果を測定する

 たとえば、製薬分野で新しい風邪薬が開発されたとする。この風邪薬に効果があるかどうかを調べるために、今の時点で風邪にかかっている100人に薬を使ってもらったとしよう。2日間の服用を続け、100人のうち、仮に70人が風邪から治った場合、薬に効果があるといえるだろうか?

 多くの人は、これだけではわからないと言うのではないだろうか。そもそも治ったのは薬のせいなのか、それとも自然回復なのかという疑問が浮かぶ。よって、この疑問に答えるためには、よく似た種類の風邪にかかっており、薬を服用しない100人(コントロール群)が必要となる。もしこのコントロール群のうち70人が薬を飲まずに2日後に回復していたという場合、2群の差異はなく、薬の効果はないということが言えるだろう。これが、上で述べた1)と3)に対応する部分だ。

2)のランダム化は、実験をさらに科学的にするために追加される方法だ。トリートメント群とコントロール群の参加者の属性を均一にすることができ、実証実験の結果と介入の関連性がきれいに見えることになる。

開発援助の世界に持ち込まれた「エビデンス」革命

 人体の安全にかかわるような新薬のテストでは、このようなランダム化比較を使った実証実験の方法論がすでに確立されている。ところが、貧困削減や、途上国の小学生の出席率向上という別の重要課題になったとたん、このようなアプローチは実はほとんど見られなくなってしまう。

 コペルニクを立ち上げて約10年になるが、それ以前に所属していた国連で東ティモール、インドネシア、シエラレオネといった途上国の現場で多くの貧困削減に関するプロジェクトを実行してきた私自身、ランダム化比較実験のアプローチを使った効果測定の経験どころか、そういった考えすら浮かばなかった。

 たとえば、私が東ティモール時代に担当していた、元兵士の社会統合を促すプロジェクトでは、元兵士に対して職業訓練や小規模ビジネスを開始する際の資金を提供していた。実際に何百人という元兵士がこのプロジェクトを通じて、家具を作るといった新たなスキルを身につけ、ビジネスを開始する資金を得て自立の道をたどっていったのだが、プロジェクトに参加していない元兵士、すなわちコントール群のデータ収集はしていなかった。そのため、プロジェクトがなくても、またはこのプロジェクト以外の機会を通じて、必要なスキルを身につけて自立できていたのではないか、という疑問には答えられない。

 1つ断っておくと、これは国連が遅れていたということではなく、それ以外のODA機関やNGOでもそれが普通だったのだ。このノーベル経済学賞の意義は、そういう「普通の状態」に一石を投じたことにあるといってもいい。兆円単位のお金が開発援助という名目でOECD諸国から途上国に流れている中で、そのお金が効果的な援助の活動に使われているのか、実際に導入された介入は効果的だったのか、ということをできるだけ科学的なエビデンスに基づいて判断しようという流れをつくった意義は非常に大きい。