2019年度のノーベル経済学賞は、MITのエステール・デュフロ氏、アビジット・バナジー氏、そしてハーバード大学のマイケル・クレマー氏が獲得した。受賞理由は、世界の貧困削減に実証実験を用いたアプローチを行ったこと。一見、日本で暮らす私たちとの関わりは少ないように見える。だが、国際NPOコペルニクの共同創設者・中村俊裕氏によると、今回の受賞者らの業績は、途上国支援やNPOの施策はもちろん、ビジネスにも広く影響を与えるという。受賞者の業績を、途上国の中でも援助の届きにくい地域にテクノロジーを届けて貧困を削減する活動を約10年続けている中村氏が、「現場」目線で解説する。

コペルニクホームページより。コペルニクでは、今回のノーベル経済学賞で評価された実証実験の手法を、途上国の現場で実際に実施している。中には、今回の受賞者が属する研究機関との共同プロジェクトもある

2019年ノーベル経済学賞の受賞者と功績
――インドとケニアで教育の質を劇的に変えた2つの実証実験

 2019年10月14日、ノーベル経済学賞が発表された。普段はあまり興味をひかれることはないが、今回の受賞は途上国の貧困削減という自身が取り組んでいるテーマそのもので、受賞者のうち2人の代表作“Poor Economics”(邦題:『貧乏人の経済学』)はコペルニクのスタッフにも読むべき本として薦めているほどだ。受賞者たちの研究は、コペルニクの近年の活動に大きなインスピレーションを与えてくれてもいて、協業もしているので、今回受賞した業績について改めて考えてみようと思う。

 受賞した3人は、MITのエステール・デュフロ氏アビジット・バナジー氏、そしてハーバード大学のマイケル・クレマー氏だ。ノーベル賞を与えるスウェーデン王立科学アカデミーは、今回の受賞の理由として、「現場での実証実験に基づいたアプローチ」を実際の途上国課題解決に取り入れたことにより、「貧困削減を現場で行うわれわれの能力を劇的に向上させた」としている[1]。さらに、「複雑な課題を対応可能な小さい課題にまで」昇華させることにより、具体的に問題解決をしやすくしたとも述べられている[2]。まずは、「現場」、「実証実験」というキーワードから、3人が残した業績の具体例をいくつか見てみよう。

例1:インドで「先生の欠席率」を効果的に減らす方法を検証

 インドでは、小学校の先生が必要な授業日数の50~60%しか来ていないということが問題になっている。この問題は教育の質の低下につながり、その影響は当然子どもたちに及ぶ。デュフロ氏らは、インドのラジスタンで学校を運営するNGOと共同で、どのようにすれば先生の欠席を減らすことができるかを明らかにすべく、実験を行った。

 実験では、カメラを先生に配布し、授業前と授業後に生徒と一緒の写真を撮ってもらい、その写真で授業をしたことを証明した先生には、出席日数に応じて給料を支払った。また、先生のうち、半分をカメラを与える先生(トリートメント群)、残り半分を今まで通りの運営でカメラを与えない先生(コントロール群)に、ランダムに分けた。コントロール群の先生は、通常通り学校で授業を行っても行わなくても、月に約2300円をもらう。

 結果として、何も介入がなかったコントロール群の先生の授業出席率は58%だったのに対し、カメラで出席を証明する必要のあったトリートメント群の先生の出席率は79%まで向上した[3]

2:腸内寄生虫を減少させる駆虫剤(Deworming)の効果を証明し、世界に広めた

 世界保健機構(WHO)によると、主に途上国で暮らす8億5千万人の子どもが汚れた水と接触することで、腸内寄生虫が体内で繁殖し、栄養失調、貧血などの症状につながっているとされている。その結果、マラリアなどの病気にもかかりやすくなり、授業に集中できない、学校を休む、という事態に陥っている。

 この課題を解決するため、ケニアの75の小学校を対象に実証実験を行った。75校の学校から25校をランダムに選び、駆虫剤を投入するとともに、どうやって腸内寄生虫を予防するかを教えた(トリートメント群として介入を行った)。残り50校の学校はコントロール群として何も介入を行わなかった。その結果、介入を行ったトリートメント群では、約3割の生徒で重・中度の腸内寄生虫の削減が確認され、病気になり学校を欠席する頻度も減り、また栄養吸収の基準となる生徒の身長の伸びでも向上が見られた。このアプローチの採用によって子ども1人の学校出席率を1年間にわたって向上させるための費用は、300円と非常に低い。このため、途上国の多くの学校で駆虫剤の配布を行うべきだと政策提言が行われたのだ[4]

 さらに注目すべきは、この後の話だ。調査結果を2007年の世界経済フォーラム(通称ダボス会議)で発表したデュフロとクレマーの両氏は、同時に‘Deworm the World’(「世界から駆虫を」)というイニシアティブを発足させ、駆虫を促し支援する活動を世界で大々的に開始した。2009年には、ケニアの当時の大統領が、政府の予算で小学校で駆虫を行うことを宣言し、今でも毎年600万人の子どもがその恩恵を受けている。さらに、インド、ナイジェリア、パキスタン、ベトナムでも中央・地方政府が駆虫のプログラムを開始したが、その実現にあたっては、火付け役である当初の実証実験結果が大きなインパクトをもたらした。ケニアでの学術機関が行った実証実験から、数か国にわたる大規模な政府プロジェクトへ進展したというこの事例は、なぜこの実証実験を行った学者らにノーベル経済学賞が与えられたのかを如実に示している

 これ以外にも現場ベースの途上国課題解決のための実証実験の事例が無数にあり、興味のある人は、MITの関連機関であるJPAL(Abdul Latif Jameel Poverty Action Lab)や、IPA(Innovations for Poverty Action)のホームページをご参照いただきたい。前者はエステール・デュフロ氏とアビジット・バナジー氏、そして後者はマイケル・クレマー氏が所属しており、彼らとその弟子たちの類似の研究結果が多く掲載されている。

[1]ノーベル賞の公式Twitterアカウント(@NobelPrize)など参照。
[2]
https://www.bbc.com/news/business-50039214
[3]https://www.povertyactionlab.org/evaluation/encouraging-teacher-attendance-through-monitoring-cameras-rural-udaipur-india
[4]https://www.povertyactionlab.org/evaluation/primary-school-deworming-kenya