12年、第2次安倍政権が発足すると、首相は憲法改正について「私のライフワークだ。何のために政治家になったのか。何としてもやり遂げたい」と述べ、強い意欲を全く隠してこなかった。そして、その前段階として、「国家安全保障会議(日本版NSC)」の設置、「特定秘密保護法」(第72回)、「安全保障法制」(第115回)、「テロ等準備罪法」(第160回)など、次々と保守色の強い「やりたい政策」を成立させてきた。

 だが、安倍首相は、第1次政権期と違っていた。安倍政権は、国会では議論を軽視し、数の力で押し切る「強行採決」を続けてきた。ここまでは第1次政権期と同じだ。一方、国民に対して理想を正面から訴えることはしなかった。経済対策を次々に打ち出すことで支持率を維持しようとしたのだ。

 安倍首相の眼には、「失われた20年」と呼ばれた長年のデフレとの戦いに疲弊し切って、「とにかく景気回復」を望んでいる国民の姿が映っていた。そして、経済さえうまく運営すれば、憲法や安全保障で保守的な政策を打ち出しても、今すぐ戦争が起こるという実感のない「平和ボケ」の国民は、問題視せずに通すだろうと考えたのだ。

アベノミクスの成長戦略は
「支持率維持の道具」でしかない

 アベノミクスの「第一の矢(金融緩和)」「第二の矢(公共事業)」は、本来「第三の矢(成長戦略)」が効果を発揮するまでの「時間稼ぎ」に過ぎないものだが、現在でも継続されている。安倍首相は、景気後退局面に入りそうになると、より一層の金融緩和や補正予算を打ち出すなど、「第一の矢「第二の矢」をちゅうちょなく繰り出してきた(第163回)。

 一方、本格的な経済回復のために必要な「第三の矢(成長戦略)」は、さまざまな業界の既得権を奪うことになる規制緩和や構造改革が中心であり、内閣支持率低下に直結する。そのため、安倍首相はできるだけ先送りしようとした。そもそも、安倍政権が「成長戦略」と考えた数々の政策は、多かれ少なかれ、端的にいえば従来型の「日本企業の競争力強化策」であり、基本的に誰も反対しない政策案の羅列でしかなかった(第52回)。