米国はアフガニスタンで苦戦する中、2003年3月には英軍を含む32万人の地上部隊でイラクに侵攻、首都バグダッドを制圧し、ブッシュ大統領(息子)は5月1日、勝利宣言を行った。

 だがフセイン政権の残存勢力を主体とするゲリラ、テロ攻撃に悩まされ、さらにシーア派とスンニ派の内戦が拡大した。

 オバマ大統領は2010年12月、米軍約14万人を撤退させたが、米軍の死者は約4500人、戦費は、重傷兵士約1万3000人の生涯の生活保障や国債の金利など、将来の支出を含むと3兆ドル以上とされ、財政危機の要因となった。

 イラク戦争はイラク国民に絶大な災厄をもたらし、米国にも多大な負担を与えただけで、米軍は何も得ることがなく撤退した。ソ連のアフガニスタンでの敗北と同様だった。

シリアでは「IS」育てて
「アサド政権打倒」が逆の結果に

「戦闘」で勝ち、敵の首都を占領しても「戦争」で敗者となった例は戦史に少なくない。

 日中戦争で日本軍は1937年に蒋介石の首都南京を陥落させ、日本各地で戦勝祝賀行事が行われたが、8年後に日本は降伏したのもその一例だ。

 米国はシリアでも失敗した。2011年3月にシリアで反政府デモが起きると、米国は友好国であるサウジアラビア、トルコ、カタールなどと共に反体制派を支援、アサド政権の打倒をはかった。

 アサド家はイスラム少数派のアラウイ派で、国民の大半はスンニ派だから、内乱になれば軍人は反政府派に付く、という目算で、そうした離反軍人を中心とする「自由シリア軍」の結成をはかった。

 だがシリア領ゴラン高原の占領を続ける仇敵イスラエルを支持する米国が背後にいる「自由シリア軍」に走るシリア軍人は少なかった。司令官になったのは技術将校の大佐で兵力も2000人程度しか集まらなかった様子だ。シリア軍の中核部隊はアサド政権に忠誠を保った。

 このため反政府勢力の主体は「イラクのアルカイダ」に属するスンニ派過激組織の「ヌスラ戦線」となり、米国がアルカイダを支援する奇妙な事態となった。

 米国はアルカイダに属さない反政府組織を探し求めてヨルダンで訓練し、資金、兵器、車両を供与したが、この連中はあまりに凶悪なため「ヌスラ戦線」からも破門された集団だった。これが肥大して「イスラム国」(IS)になった。