橘氏/橘
奈良時代の橘諸兄が有名な橘氏。しかし平安時代初期に衰退したため家紋の使用例は少ない橘氏/橘 奈良時代の橘諸兄が有名な橘氏。しかし平安時代初期に衰退したため家紋の使用例は少ない 拡大画像表示

 都を離れて地方に定住した武士は、その土地の名前を名字として名乗った。「織田」なら越前国織田荘(おたのしょう)、「上杉」なら丹波国上杉荘、「毛利」なら相模国毛利庄に住んでいたことがルーツだ。

 俗に「名字帯刀」という言葉があるように、江戸時代まで庶民は名字を公に使うことができなかった。その代わり、「家紋」の使用は葵や菊紋といった例外を除けば、規制はなかった。

 それを積極的に使ったのが商人だ。日本橋の茶・海苔問屋の「山本屋嘉兵衛」(現在の山本山)、鰹節問屋「伊勢谷伊兵衛」(現在のにんべん)などである。彼らは家紋と屋号を暖簾や看板に入れ、ステータス化した。また元禄年間(1688~1704)には、歌舞伎役者が大きな家紋入りの衣装を着用。おおいに舞台映えして、庶民に好評を博す。

 墓地の墓石にも家紋が刻まれるようになり「紋所を さがす無沙汰の 寺参り」という川柳も詠まれた。このように、庶民レベルでは名字を名乗れない代わりに家紋が広く使われるようになったのである。