200万部突破のベストセラー『嫌われる勇気』。アドラー心理学の入門書である本書が、これほど多くの人に受け入れられた要因の一つに、「哲人」と「青年」の対話の魅力があげられよう。アドラーに精通する哲人と、全読者の代表とも言える悩める青年の対話は、そのまま共著者である岸見一郎氏(哲人)と古賀史健氏(青年)の関係に当てはまる。両氏はいま、200万部突破を記念して全国書店でトークイベント・ツアーを敢行中だが、それはまさにリアル哲人とリアル青年のセッションと言える。
そこで改めて哲人と青年の対話を楽しみつつ、アドラー心理学の衝撃的な教えをじっくり考えて頂くため、『嫌われる勇気』の重要箇所を抜粋して特別公開する。今回は前回登場したアドラー心理学のキー概念「共同体感覚」をめぐり、さらに白熱する哲人と青年の激論をお送りする。
より大きな共同体の声を聴け
青年 ううむ、よくわからなくなってきました。ちょっと整理させてください。まず、対人関係の入口には「課題の分離」があり、ゴールには「共同体感覚」がある。そして共同体感覚とは、「他者を仲間だと見なし、そこに自分の居場所があると感じられること」である、と。ここまではわかりやすいし、納得できる話です。
でも、まだ細部は納得できません。たとえば、その「共同体」なるものが宇宙全体に広がり、過去や未来、生物から無生物まで含む、というのはどういう意味ですか?
哲人 アドラーのいう「共同体」の概念を言葉のままに受け取って、実際の宇宙や無生物をイメージすると、理解をむずかしくしてしまいます。さしあたってここでは、共同体の範囲が「無限大」なのだと考えればいいでしょう。
青年 無限大?
哲人 たとえば、定年退職をした途端に元気をなくしてしまう人がいます。会社という共同体から切り離され、肩書きを失い、名刺を失い、名もない「ただの人」になること、すなわち「普通」になることが受け入れられず、一気に老け込んでしまう。
でも、これは単に会社という小さな共同体から切り離されただけにすぎません。誰だって別の共同体に属しているのです。なんといっても、われわれのすべてが地球という共同体に属し、宇宙という共同体に属しているのですから。
青年 そんなものは詭弁にすぎませんよ! 唐突に「あなたは宇宙に所属している」といわれて、いったいなんの所属感をもたらしますか!
哲人 たしかに、いきなり宇宙は想像できないでしょう。しかし、目の前の共同体だけに縛られず、自分がそれとは別の共同体、もっと大きな共同体、たとえば国や地域社会に属し、そこにおいてもなんらかの貢献ができているという気づきを得てほしいのです。
青年 じゃあ、こんな場合はどうです? 結婚もせず、仕事を失い、友を失い、人付き合いを避けたまま、親の遺産だけで生きている男がいたとしましょうよ。彼は「仕事のタスク」「交友のタスク」「愛のタスク」のすべてから逃げているわけです。こんな男でさえ、なんらかの共同体に属しているといえますか?
哲人 もちろんです。たとえば彼が、一片のパンを買う。対価として1枚の硬貨を支払う。そこで支払った硬貨は、パン職人たちに還元されるだけではありません。小麦やバターの生産者たち、あるいはそれらを運んだ流通業者の人たち、ガソリンを販売する業者の人たち、さらには産油国の人たちなど、さまざまな方々に還元されているはずだし、つながっているわけです。人は共同体を離れて「ひとり」になることなど絶対にありませんし、できません。
青年 パンを買ったときにそこまで空想を膨らませろと?
哲人 空想ではありません。これは事実です。アドラーのいう共同体とは、家庭や会社のように目に見えるものだけではなく、目には見えないつながりまで含んでいます。
青年 お言葉ですが先生、あなたは抽象論に逃げておられる。いま問題にすべきは、「ここにいてもいいんだ」という所属感です。そして所属感という意味においては、目に見える共同体のほうが強い。これはお認めになりますよね?
たとえば「会社」という共同体と、「地球」という共同体とを引き比べたとき、「わたしはこの会社の一員だ」という所属感のほうが強い。先生の言葉を使うなら、対人関係の距離と深さが、まったく違うわけです。われわれが所属感を求めようとしたとき、より小さな共同体に目を向けていくのは当然のことでしょう。