困難に直面したときこそ、
「自分にできること」に集中する

そんな出口の見えない痛みとの闘いのなかで、僕がたどり着いた1つの結論は――「自分のできることと、できないことをはっきりさせる」ということだった。

思えば、これは何か困難に直面した際、僕がよく実践してきた考え方でもある。
その状況において自分が「コントロールできること」と「コントロールできないこと」を明確にして、前者だけに集中するのだ。
そして、自分の力の及ばないことに関しては「仕方ない」と潔く諦める。

壁にぶつかったとき、人はどうしてもマイナスの側面ばかりを見てしまう。
僕自身も、根はネガティブな性格なので、そうなってしまう人の気持ちはよくわかる。
しかし、「コントロールできないこと」に関して、あれこれと思い悩み、それをなんとかしようとするのは時間や心のエネルギーの無駄だ。

むしろ、結果を残したい、もっとうまくなりたいと本気で願うのであれば、まずは「自分の努力でなんとかできること」と「そうでないこと」をはっきりと見極めるところからはじめるべきだ。
そして、いまの自分にコントロールできることが見えてきたら、あとはそこにベストを尽くす。これはケガや不調からの復帰のみならず、あらゆる「練習」に関して言えることだと思う。

当時の自分にとってできるのは、さまざまな治療にトライすることだった。その結果、肩の状態がよくなるかどうかは―たとえ自分の肩であったとしても―自分ではコントロールできない。
だから、「肩に効く」と言われる治療法はほとんど試してみた。
これがダメだったらあれを……。あれもダメだったらその次を……。ヒアルロン酸や生理食塩水などを注入するため、左肩には50〜60回注射針を刺した。

「ひょっとしたら、今年、僕よりもたくさんの注射を肩に打った人間は、この日本に誰もいないんじゃないか……」

そう思いたくなるくらい、いろいろなことを試した。
だが、当時の僕にとっては、これだけが「自分にコントロールできること」だったのだ。

結果的に僕は一軍復帰を果たし、2019年日本シリーズ優勝を決めた巨人戦(第4戦)の先発マウンドに立つことができた。

「この治療法のおかげで回復できた!」と1つに絞るのは難しい。
メディアでは「PRP療法(自己血の多血小板血漿を利用する治療法)が回復の決め手となった」などと報じられていたが、正確なところは僕にもわからないのだ。

しかし、だからこそ左肩の回復のために動いてくださったすべてのみなさんには、心から感謝したいと思っている。

和田毅(わだ・つよし)

福岡ソフトバンクホークス 投手(背番号21)

ソフトバンク和田「困難のときこそ、コントロールできることに全力を注ぐ」

1981年2月21日、愛知県江南市出身。大学野球の選手だった父の影響で小学1年生から野球を始める。11歳のときに父の故郷・島根県へ転居。浜田高校時代は、エースとして2年生夏、3年生夏と甲子園大会に2回出場。3年生夏の大会はベスト8まで勝ち進んだ。
高校卒業後、早稲田大学へ進学。同級生のトレーナーとともに試行錯誤を重ね、フォームに磨きをかけたことで、最速127〜128km/hだった球速がわずか2ヵ月で140km/hを突破。2年生春から先発投手の座をつかむ。4年生時には、早大としては52年ぶりの春秋リーグ連覇達成に貢献。江川卓氏が保持していた六大学野球通算奪三振記録(443)を塗り替える476奪三振を記録した。卒業論文のテーマは「投球動作における下肢の筋電図解析」。
2002年、ドラフト自由獲得枠で福岡ダイエーホークス(当時)へ入団し、1年目から先発ローテーション投手に定着。14勝をマークして満票で新人王を獲得した。また、その年の日本シリーズで第7戦に先発。プロ野球史上初めて、新人として同シリーズで完投し胴上げ投手になった。以降、5年連続で2桁勝利を達成。2004年アテネ五輪、2006年第1回WBC、2008年北京五輪に日本代表として出場。2009年はケガに悩まされたが、2010年に完全復調。17勝8敗、防御率3.14の成績を残し、最多勝利投手・MVP・ベストナインに輝くなど、ホークス7年ぶりのパ・リーグ制覇に貢献した。2011年には左腕史上最速となる通算200試合目での100勝を達成。
2011年オフ、海外FA権を行使し、MLBボルチモア・オリオールズへ移籍するも、1年目開幕直前に左肘の手術を受ける。2014年にシカゴ・カブスへ移籍し、同年7月に3年越しとなるメジャー初登板を果たす。シーズン4勝の活躍で日米野球のMLB代表に選出、日本のファンの前で凱旋登板を果たした。
2016年シーズンより再び福岡ソフトバンクホークスに所属。復帰1年目から最多勝・最高勝率のタイトルを獲得した。2018年シーズン開幕前の春季キャンプで左肩痛に襲われ、1年半にわたる治療・リハビリを経て、2019年シーズン途中から一軍に復帰。ホークスの日本シリーズV3を決めた第4戦で先発登板。勝利投手となり、完全復活を印象づけた。
いわゆる「松坂世代」の1人。プロ在籍した94人の同級生のうち、2020年2月時点でのNPB現役選手は自身を含めてわずか5名である。妻は元タレントの仲根かすみさん。一女の父。計算しつくされた投球フォームは、球の出所が見えにくいと評価されている。持ち球は、ストレート、カーブ、スライダー、チェンジアップ、ツーシーム、カットボール。179cm 82kg。左投げ左打ち。血液型O型。著書に『だから僕は練習する――天才たちに近づくための挑戦』(ダイヤモンド社)がある。