テクノロジーを味方に
直観力を磨け
人間は過ちを犯す生き物で、先入観や思い込み、都合の悪い情報を無視して何事もないと考える認知バイアスは、ヒューマンエラーを引き起こす要因の一つとして知られています。しかし、自分で見たことや聞いた話よりも、データに頼ってしまうのもまた問題ではないでしょうか。将来、経営判断さえもAIが下すようになれば、経営者は必要なくなります。
長年培ってきた経験や直観による経営者の判断と、データに基づいた分析や判断は、トレードオフの関係ではなく、補完関係にあると私は考えます。
就任を機に現場に足を運んで、現場の声を聞く新社長は多いですよね。でも、中小企業ならばともかく、世界に点在する拠点を回ろうとすれば、主要なところだけでも相当の時間を要することになる。いまの時代、最初の1年間は勉強だなんてのんきなことは言っていられないはずです。そうかといって現場を知らなければ判断を誤るおそれが高いし、リポートラインを通した状況把握にも限界がある。ならば、経営者としての直観とデータを突き合わせて、ギャップがあればそれを解消すればいいはずです。
経営にはサイエンスだけでなくアートが必要だといわれますが、日本の優れた経営者は皆さん直観力に長けている一方で、サイエンスの部分が少し弱い気がします。CFO出身でもない限り、財務や会計に精通していないのは仕方がないし、そこは信頼できる人間に任せればいい。しかし、数字そのものに弱いのは重大な問題です。
創業経営者は総じて数字に強い傾向があります。会計知識があるわけでもないのに、月次決算の数字を見ながら、これはおかしいと指摘して周囲の人間をどきっとさせたりする。ゼロから立ち上げて、事業のことも資金のこともすべて自分で見てきたから、わざわざMBAで学ばなくても、実地でサイエンスのスキルを身につけることができたのでしょう。
同じことを、所属部門で実績を上げて上り詰めた社長に望むことは難しいかもしれません。だからこそデータの力を最大限に活用しながら、アートもサイエンスも磨き込んでいく必要があるのではないでしょうか。
監査人にも同様に、アートとサイエンスの融合、つまり直観とデータを読み解く力の両方が求められます。私のようにデータ分析がない時代に育った会計士は、主体はあくまで自分であって、データに助けてもらっているという感覚ですが、このままデータ活用が進めば、遠くない将来、データのみに依存してしまう会計士が出てこないとも限りません。しかし、そうした会計士がAIに代替されるのは時間の問題でしょう。
監査は監査基準に則って行われますが、一部の項目については正確に測定することができないので、「見積もり」が必要となります。たとえば投資の減額や、のれんや無形資産の公正価値の算定などで、ここに経営者の予測、判断、そして意思が入り込んできます。監査人はその実現可能性を分析して判断しなければなりませんが、その時頼りになるのが経験と知識に基づく直観です。
データも先端技術も存分に活用しながら、プロフェッショナルとしての自分を信じることが、経営者にも監査人にも求められているのだと思います。