ジャーナリストの江川紹子氏オウム真理教の犯罪を象徴する、坂本堤弁護士一家殺害事件。そのとき、ジャーナリストはどう動いたか Photo:JIJI

文藝春秋に入社して2018年に退社するまで40年間。『週刊文春』『文藝春秋』編集長を務め、週刊誌報道の一線に身を置いてきた筆者が語る「あの事件の舞台裏」。ジャーナリストの江川紹子さんと一緒に仕事をした、オウム真理教事件を振り返ります。(元週刊文春編集長、岐阜女子大学副学長 木俣正剛)

華奢な女性ジャーナリストが
編集部に持ち込んだ企画

 ジャーナリストの江川紹子さんと初めて仕事をしたのは、彼女が神奈川新聞を辞めてフリーになった直後のことでした。華奢(きゃしゃ)で笑顔を絶やさない彼女が、のちに、オウム真理教というテロ組織と1人で闘うとは、当時は想像もできませんでした。

 あるとき、江川さんから、坂本堤弁護士とともにオウム真理教という新興宗教に洗脳されている信者のことを取材して書きたいと提案されました。ゴーサインは出したのですが、他の仕事に取り紛れ、まだ、坂本弁護士に会えないままだったとき、真っ青な顔をした江川紹子さんが文春編集部に現れました。「木俣さん、何も聞かないで、私が週刊文春の記者であるという名刺を作ってください」と言います。

 切羽詰まったものを感じて、すぐに名刺を作製してお渡ししました。それから2週間くらいたった頃でしょうか。江川さんが説明に来ました。

「坂本弁護士一家が拉致されました。オウムの仕業としか考えられません。一家が自分で失踪する理由なんて見当たらないのですから。でも神奈川県警は、積極的に動いていません。そしてフリーの記者は記者会見には出られないので、週刊文春の名刺作製をお願いしました。警察が熱心でないのは、坂本弁護士が所属する横浜法律事務所は、刑事事件では県警と対立することが多い人権派弁護士事務所だということもあるかもしれません」