“スポーツを取り入れたリハビリテーション”との出合い

パラリンピックを創った日本人医師・中村裕と「太陽の家」〈太陽の家〉創設者の中村裕医師/医学博士(昭和2年、大分県別府市生まれ/昭和59年没)は、身体障がい者の社会参加と仕事を通じての自立やスポーツ活動に情熱を注いだ。 写真提供:社会福祉法人 太陽の家

 その人物は、医師の次男として昭和2年に別府市で生を受けた中村裕医師(医学博士)である。

 中村医師は、九州大学医学部整形外科医局で恩師となる天児民和教授と出会い、当時の日本ではまだ馴染みが薄かった「リハビリテーション」の研究を勧められ、以後、その人生を懸けて、障がい者のリハビリテーションに関わっていくことになる。

 昭和35年、中村医師は欧米各国のリハビリテーションの実情を7カ月間の長期にわたって視察研修した。特に強い印象を受けたのが、英国の国立脊髄損傷センター院長であるルートヴィヒ・グットマン博士が行っていた“スポーツを取り入れたリハビリテーション”だった。脊髄損傷の手術を終えた患者たちは車いすでの生活を余儀なくされるため、腕力や全身の体力を強化する必要がある。また、鍛えることで、自分の力で、行きたいところに車いすで移動することもできるようになり、何よりも、スポーツは体のリハビリだけでなく、心のリハビリになるのだというグットマン博士の言葉に、中村医師は衝撃を受けた。

 障がい者は、どうしても家に閉じこもりがちになってしまうのだが、スポーツを通じて仲間ができるし、自分に自信もついてくる。そうすることで障がいという困難を乗り越えて社会復帰し、自立していく意欲も湧いてくる。実際に、生き生きと車いすバスケに興じる人たちの笑顔を見た中村医師は、日本で自分が担当してきた患者たちの暗く悲壮な表情を思い浮かべ、あまりの違いに愕然とするとともに、日本でもスポーツを取り入れることで、彼らの心のリハビリに着手せねばならないと決意した