パラリンピックを創った日本人医師・中村裕と「太陽の家」

新型コロナウイルスの感染症拡大がなければ、この夏、世界は「東京2020オリンピック・パラリンピック」の開催で盛り上がっていたはずだ。そして、パラリンピックの開催でパラスポーツが注目され、ひとりの偉人が改めて注目されていたにちがいない。中村裕医師(医学博士)――昭和40年に、「No Charity, but a Chance!(保護より機会を)」を理念に、〈太陽の家〉を創設した人物だ。いま、社会で障がい者雇用が進むなか、中村医師の足跡を振り返ってみよう。(ダイヤモンド・セレクト「オリイジン」編集部)
『インクルージョン&ダイバーシティマガジン「Oriijin(オリイジン)』2019年3月発売号「オリイジン2019」の掲載原稿を加筆修正

30年前の東京の街と大分・別府の風景の大きな違い

 いまから30数年前に高校を卒業して故郷・別府市(大分県)を離れて上京した私は、しばらくして、周りの景色に“違和感”を覚えていることに気づいた。

 ある時、その違和感の理由は、街の中で車いすの人を見かける機会が少ないことだと分かった。別府の街の日常を思い返せば、車いすの人とすれ違うことが頻繁にあったし、その当時から「身障者用トイレ」(現在の「だれでもトイレ」)が公共の施設で設置されることも珍しくなかった。

 まだ「ダイバーシティ」という言葉も、「多様性」という概念もほとんど耳にしなかった昭和の時代に、なぜ、別府市は車いすの人が生活しやすい街になっていたのか?――その背景には、ひとりの医師の熱意と努力があったのだ。