個性あふれるキャラクターで多くの人に注目され、マルチな活躍を続けるタレント・はるな愛さん。2009年には、国際大会の「ミス・インターナショナルクイーン」で、日本人初の優勝を果たし、現在は飲食店経営の事業家としての顔も持っている。いつも明るく元気なイメージだが、子どもの頃は壮絶ないじめに遭い、自殺することを何度も考えたという。デビューからおよそ25年。ダイバーシティ社会の中で、いま、彼女が思うことは……。(構成・文/荒垣信子、撮影/安達 尊 *本文中敬称略)
*現在発売中の『インクルージョン&ダイバーシティ マガジン 「Oriijin(オリイジン)2020」』から転載(一部加筆修正)
“女の子になりたい”という願望を隠しながらの毎日
大きなリボンに愛らしいルックスで幅広い世代から支持されるタレント・はるな愛。1972年に「大西賢示」として生をうけた“彼女”がどのような思いを抱え、どのように生きてきたのか。その日々は、現在の明るいキャラクターからは想像できないほどに壮絶で、死を考える毎日だったという。
「私は小学生の頃から、『大きくなったらどうなるんだろう』ということばかり考えていました。学校で授業を受けている時も、『紫式部は女性だからいいけど、私は女性ではないし……』など、勉強がまったく手につかないほど、来る日も来る日も自問を繰り返して。当時(1980年前後)の日本では、私のようなトランスジェンダーはポピュラーな存在ではなく、陰に隠れているイメージ。もし、カミングアウトしてしまったら、『大西んとこの息子がオカマになった』という噂が団地中で独り歩きし、家族が生活しづらくなってしまう。だから、『女の子になりたい』という願望は誰にも打ち明けることができず、口にしてはいけないことだと自分に言い聞かせながら暮らしていました」
そんななか、はるなが女の子の格好をし、テレビ番組で松田聖子のモノマネを披露したことからいじめがスタートした。