現場で「辛酸」を舐めることでしか、
理解できないことがある

 このように考えた原点には、私の現場経験があります。

 私は、ブリヂストンに入社して以来、本社勤務の機会は少なく、タイや中東などの工場や営業で現場経験を積んできましたが、本社中枢から派遣されたスタッフとの関係で苦慮することが非常に多かったのです。

 そんな経験を繰り返すなかで、自分が本社中枢のスタッフになったときに、現場からどう見えるかを骨身に染みるように学ばせてもらってきました。現場で「辛酸」を舐めることによってしか、理解できないことがあると思うのです。

 エピソードをご紹介しましょう。

 あれは入社3年目、タイに赴任していた頃の話です。

 ある日、唐突な指令が飛んできました。当時、バンコク市内にタイ・ブリヂストンの物流センターを建設していたのですが、完成した暁には、その物流センターの長をやるようにと命じられたのです。

 物流センターは3階建。毎日、工場から直送されてくるタイヤを、バンコク一円の小売店に配送する役割を担う。わかっていることはそれだけ。そのほかは、センター長を私がやること以外、何も決まっていませんでした。

「あとは、自分で考えろ」というわけです。正直、「無茶苦茶だな」と思いましたが、それだけ自由裁量があるということ。そのときは「面白いじゃないか」という気持ちもありましたが、その「楽観」がすぐに打ち砕かれることになるとは思いもしませんでした。

 まず着手したのは、人集め。

 数十人の「クーリー(苦力)」を現場作業員として集めましたが、集まったクーリーたちはみな迫力満点の男たちでした。体格がよく、眼光も鋭い。上半身裸で、背中や腕には入れ墨が入っています。当初は、内心びくびくしながら指示を出したものですが、彼らは気性は荒いけれども、人懐っこくもあり、和気あいあいとしながらの船出となりました。

現場が「怒り」に震えた、本社スタッフの言動とは?

 ところが、物流センターの稼働直後から、現場は大混乱に陥りました。

 なにしろ、私を含めて全員が物流の素人です。工場から毎日、どんどん送り込まれてくる多種多様なタイヤを手際よく受け入れ、決められた場所に収納するとともに、配送先ごとにタイヤをまとめて出荷していくのは至難のわざでした。

 事前に考えていた「仕組み」は早々に崩壊。大混乱を制するために、私は現場を走り回って指示を出しましたが、まさに“焼け石に水”。あまりの物量を前に、日に日に混乱は増すばかり。気性の荒いクーリーたちに、「ちゃんと仕切れ」と詰め寄られて、震え上がったこともありました。

 とはいえ、物流センターを止めるわけにはいきません。

 工場は24時間体制でタイヤをつくり続け、それのかなりの部分が物流センターに送り込まれてきます。そして、納期どおりに多数の小売店に配送しなければ、タイ・ブリヂストンのビジネスは崩壊。まるで戦場のような現場のなかで、なんとか自分たちでやりくりするしかない。全力で走りながら、機能する「仕組み」を試行錯誤でつくっていくほかない。そんな状態で、どうにかこうにか日々を乗り切っていきました。

 そして、迎えた6月の中間決算――。

 本社の管理部門のスタッフが、棚卸しの在庫チェックに来ました。

 結果は、散々でした。在庫管理台帳と実在の数が合わない。個別入出庫伝票と台帳が合わない。ものすごい数のタイヤが、ほぼ無管理状態にあることが白日のもとに晒されたのです。本社のスタッフは激怒。私たちを、ボロクソに非難しました。

 もちろん、反論はできません。

 まったく在庫管理ができていなかったのは事実。

 謝るほかありません。

 しかし、これには無性に腹が立ちました。

 本社はエアコンが効いていてほぼ定時退社だが、こちらは毎日、猛烈な暑さと湿気の中、真っ黒になりながら夜中まで死に物狂いで働いている。ゼロから物流センターを立ち上げて、タイヤをさばくだけでも塗炭の苦しみを味わってきたのだ……。

 それをねぎらう言葉など一切なく、ただただ仲間たちをボロクソに罵倒するだけの本社スタッフ。しかも、「タイヤを触ると汚れるから」と、私たちには支給されない白い手袋まではめている。クーリーたちはもちろん、私もさすがにカチンときました。一方的に罵倒されながら、体が震えるほどの怒りを感じていました。