三菱,三菱自動車
三菱重工業出身の西岡喬氏(右端)など、2004~05年当時は三菱「御三家」が総力を挙げて三菱自動車の再建に当たった Photo:JIJI

三菱「御三家」の3社(三菱重工業、三菱商事、三菱UFJ銀行)による三菱自の支援体制に変化が表れたのは2018年のこと。重工が、自動車業界が無風だった絶妙なタイミングで三菱自動車株を三菱商事に売却し、三菱自支援の輪からの鮮やかなる退場を遂げたのだ。その背景にあった三菱「御三家」の“密約”に迫る。(ダイヤモンド編集部 新井美江子)

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三菱自支援の“大前提”とされた
「3社応分」の不文律

「3社応分」(三菱グループ関係者)――。振り返れば三菱自動車の再建は、長い歴史を持つ三菱グループにおいてもまれに見る“グループ総力案件”だった。中でも三菱重工業、三菱商事、三菱UFJ銀行から成る「御三家」は、三菱ブランドを守るために「応分」の支援を行う宿命を負っていたといえる。

 普段、三菱グループの首脳らは、毎月第2金曜日に「金曜会」と呼ばれる親睦会に参加することはあっても、そこで各社の経営に口を出したり、グループとしての経営戦略を論じたりはしない。

 ただし、三菱の商標「スリーダイヤ」を傷つけかねない超緊急案件の場合は話が別だ。その筆頭事案こそ、2004年の三菱自の経営危機だった。

 米国の販売金融事業の不振やリコール隠しの発覚など、問題を抱えていたところで支援者のダイムラー・クライスラーに見限られ、三菱自の財務基盤は急速に悪化。三菱グループ首脳らは「このままでは『三菱』が持たない」と三菱自の“保護”を決定し、04~05年に御三家が中心となって優先株の引き受け等に動いた。

 以降、御三家はそれこそ各社の最重要事項として三菱自の再建を支え続けたが、3社の利害が完全に一致することなどあり得ない。他の2社より高いリスクを負うことなく、しっかり支援をしていると世間に判断される方法とは何か――。そこには、「応分」という不文律を利用し、またそれに翻弄された3社の歴史がある。