「あの西和彦が、ついに反省した!?」と話題の一冊、『反省記』(ダイヤモンド社)が出版された。マイクロソフト副社長として、ビル・ゲイツとともに「帝国」の礎を築き、創業したアスキーを史上最年少で上場。しかし、マイクロソフトからも、アスキーからも追い出され、全てを失った……。IT黎明期に劇的な成功と挫折を経験した「伝説の起業家」が、その裏側を明かしつつ、「何がアカンかったのか」を真剣に書き綴った。今回は、同書のなかから、のちにアスキーを立ち上げ、ビル・ゲイツとともにパソコン黎明期に大活躍をすることになる、その「人生の扉」を開いた”ある行動”を紹介する。

Photo by Kazutoshi Sumitomo

「計算機」×「タイプライター」

 僕は、小学生のころから家中の機械を分解しては、新しいものをつくっていた(連載第3回参照)。生来のエンジニア気質があったのだろう。そんな僕が、コンピュータに魅せられるのは当然のことだった。

 そもそも僕がコンピュータに興味をもつきっかけになったのは、父親が持っていたタイプライターと計算機だったと思う。機械マニアの僕が、それらの「お宝」を見過ごすはずがない。当時は高価だった計算機をいじっては、その計算能力の秘密に思い馳せていた。そして、タイプライターに、その能力を応用できればいいなと考えた。

 タイプライターでタイプを打っても、打った文章に打ち間違いがあると、その部分を一から打ち直さなくてはならない。文章をもっと簡単に打つことができるだけではなく、簡単に打ち直しもできる機械を作りたいものだと思っていたが、コンピュータの能力を応用すれば、そんな機械が実現できるような気がしたのだ。

 そして、高校2年の夏休みに、僕は初めて本物のコンピュータと出会う。

 プログラミングの講習会があると聞いて出かけて行った僕は、そこで「HP9800A」というヒューレット・パッカード社製のコンピュータに触ったのだ。そして、教えてもらったとおりにプログラミングをすると、自分が意図したようにコンピュータが動いてくれる。これには興奮した。

 プログラミングは、自分の答えが正しいか正しくないかがすぐわかるのも、たいへん面白かった。自分の性分にあったのだろう。ちなみに、ビル・ゲイツも似たようなことを言っていたから、そんな性分もお互いに通じ合うものがあったのだろう。ともあれ、この講習会をきっかけに、僕はコンピュータのプログラミングにのめり込むようになる。

とめどなく広がる「未来社会」の妄想

 この頃、もうひとつ、僕の将来に大きな影響を与えたものがあった。

 それは、僕が小学生時代から熱中していた無線の世界での出来事だった。ラジオテレタイプとスロースキャンテレビという、無線の世界に出現した二つの新しい技術が僕に衝撃を与えたのだ。

 ラジオテレタイプとは、無線でタイプライターとタイプライターを繋ぐことによって、一方で文章をタイプすると、それが相手側のタイプライターに表示されるという技術。スロースキャンテレビとは、無線を使って画像を送信してテレビができるというものだった。

 当時は、パソコンも、インターネットも、携帯電話もない時代だったが、無線を学んでいた僕には、簡単に文章や画像、動画が送れるような時代が来ることは、その時点でなんとなく想像できた。コンピュータが無線で繋がり、お互いにコミュニケーションをする。そんな未来社会の妄想をとめどなく羽ばたかせては、気持ちを高揚させていた。そして、そんな時代を切り拓くような機械を作ってみたいという思いは、日増しに強くなるばかりだった。