「あの西和彦が、ついに反省した!?」と話題の一冊、『反省記』(ダイヤモンド社)が出版された。マイクロソフト副社長として、ビル・ゲイツとともに「帝国」の礎を築き、創業したアスキーを史上最年少で上場。しかし、マイクロソフトからも、アスキーからも追い出され、全てを失った……。IT黎明期に劇的な成功と挫折を経験した「伝説の起業家」が、その裏側を明かしつつ、「何がアカンかったのか」を真剣に書き綴った。今回は、少年時代のエピソードから、のちにビル・ゲイツとともに、パソコン黎明期に革新を起こした「発想法」の原点を探る。

Photo by Kazutoshi Sumitomo

僕の人生を支配する「宿命」

 理想のパソコンを作りたい――。

 この思いが、10代後半から20代を通じて、僕を突き動かしていた原動力だった。これは、もう理屈で説明できるようなものではない。どうしようもなく湧き出てくるパッションだった。

 ビル・ゲイツは、コンピュータという「機械」をつくることには興味がなく、あくまでもソフトウェアに情熱を燃やしていたが、僕は違った。僕は、コンピュータという「機械」を作りたかったのだ。この「機械」に対するパッションは、少年時代から今に至るまで、変わらず僕のなかにある。おそらく、これは僕にとって宿命的なものなのだろう。

 僕は、子どもの頃から家中の機械を分解していた。

 この「機械分解趣味」が本格化したきっかけは、「テレビのチャンネル・リモコン」だった。

 小学校4年生か5年生のことだ。当時のテレビにはリモコンなどない。テレビについているダイヤルをガチャガチャ回さなければ、チャンネルを変えることができなかった。そして、我が家では、チャンネルを合わせるのは僕と妹の役目だった。

 大人たちが「2チャン」「4チャン」などと言うと、僕か妹のどちらかが、ダイヤルを回すために立ち上がらなければならない。好きな番組を見ているときや、他のことをしている時にそう言われると、正直、「いやだなぁ」と思うこともあった。

 ある時、テレビを見ているときに、父親にチャンネルを変えるように指示されて、思わず「自分でやったら?」と言い返した。すると、父親が怒った。その怒りようはすごかった。「誰に食べさせてもらっとるんや!」と鬼の形相で、僕の頬っぺたをベチーンと引っ叩いた。あれは怖かった。

 しかし、チャンネルを変えるために、いちいち立ち上がるのはもうイヤだ。

 そこで、「チャンネル変え」の役目から、どうすれば解放されるかを考えた。

 まず思いついたのは、物干し竿だった。みんなで囲むコタツとテレビの距離は約3メートル。物干し竿はちょうどいい長さだった。物干し竿をチャンネルのダイヤル・ノブにくくりつけておけば、コタツに寝転がったまま、物干し竿を回すだけでチャンネルは変わる。我ながら、いいアイデアだった。

 ところが、父親が部屋に入ってきて、ダイヤルにくくりつけてある物干し竿を見ると、すべてを悟ったのだろう。無言で物干し竿を引っこ抜くと、それで僕のお尻を引っ叩いた。これも痛かった。