ブラジルでは『日本人』、日本では『外国人』の人たち
「かみやんど」を説明するシートには、次のような文章も記されている。
日本語を学んでいるのではありません。日本語で「今」「ここ」で「わたしたち」が「生きていく」ことを学びあっているのです。教える人と教えられる人がいる場ではありません。学び合う仲間が集う場です。みんなを信頼してゆったりとここにいられるこの場の雰囲気が、社会全体の雰囲気になればいい。
多様性の尊重、共生社会の実現――こうした言葉を口にすることは簡単だが、人それぞれの事情や現実的な問題を直視し、理解していくことが「共生」の真の意味だと、「かみやんど」が教えてくれる。
「ブラジルでは『日本人』と呼ばれ、日本では『外国人』と呼ばれる日系ブラジルの人たち……『私はブラジル生まれブラジル育ちの日本人です』という人から『日本生まれ日本育ちのブラジル人です』という人まで、日系ブラジル人の立ち位置はさまざまです。また、この日本の地を終(つい)の住み処と決断された方、まだ揺らいでいる方、いずれは帰りたい方…とさまざまです。最近では、父親と母親の国が違う日本生まれの子どもたちもいます。ひとつの家族自体が多文化共生なのです。そんな子どもたちは『あなたの国は?あなたは何人?』という問いに困惑します。自分の国籍に揺らぐ子どもや若者たちの立ち位置は、母国が明確な親たちには理解してもらいにくいことでもあります。『かみやんど』は、さまざまな世代、そして、この地に住むまでに生きてきた過程の異なる人たちが同じテーブルを囲んで学び合います。日本語だけでなく、心の奥に置き忘れていた自分の願いや夢を見つけ直す場でもあるのです」