「面白い」とは「似ていないこと」。その本当の意味がわかりますか?
最先端の知識ばかりひけらかして、実は「似ているもの」ばかり作っていませんか?
博報堂のクリエイティブディレクター/CMプラナーである井村光明さんがダイヤモンド社から上梓した「面白いって何なんすか!?問題」から、一部を引用して考えてみたいと思います。
「面白い」とは「似ていないこと」
友達が着ている服を見てカッコいいと思い、同じ服を買ってみた。
俺もカッコ良くなったぞ。
お揃いだ、イエーイ。
いや、イエーイじゃないな、同じに見えるのは恥ずかしいから着こなしで差をつけよう。
着こなしで差をつけられるセンスを持っていればいいけれど、そもそもオシャレな人はわざわざ同じ服を選ばない気がする。
ファッションでたとえると、自分はそんなダサいことはしねーよ、と思いますよね。
誰だって個性・オリジナリティが大事なことくらい当然知っているわけです。
しかし、もし「面白い」とは「似ていないこと」という仮説が正しいとしたら、面白いことを考えられない人の特徴はこう言えることになります。
「似ていること」にルーズな人。
そう言い換えると、ピンと来はしないでしょうか。
打ち合わせを見ていると、たまに「似ていること」にルーズな人がいるのです。
持ってくる企画が、どれも何かに似ている感じ。
恐る恐る、
「ちょっとアレに似てないかなあ」と言っても、
「いや、僕的には似てないと思いますけどね」
と返ってきたりする。
もちろん全く同じではないし、悪気がないのも分かるのですが、本人が工夫した部分・違う部分があまり効いていなくて、全体として「似ている」という印象になっている。
元のアレがいくら面白くても、そして元のアレを真似したわけではなくても、似ていると思われた時点で、ただの二番煎じ三番煎じに見えてしまう。
しかし、「似ている・似ていない」は平行線を辿りがち。
本人にしてもオリジナリティが大切なことくらい当たり前として考えたつもりだし、最近はオマージュやマッシュアップ、インスパイアといった言葉もよく耳にします。表現におけるオリジナルの感覚が人によって違ってきていることも一因かもしれません。
しかし、僕も含めてなのですが、オリジナリティが大切だと分かっていても、具体的にどう大切にしているかと考えると、デフォルトで大切だとインプットされているだけで、特に何もしていなくはないでしょうか。
オリジナリティを発揮するぞ! という、威勢がいいだけの掛け声にすぎない。
「面白い」とは「似ていないこと」。
「オリジナリティを発揮するぞ!」とほぼ同じ意味ですが、「似ていないこと」と言い換えることで、具体的にやるべきことがハッキリしてはこないでしょうか。
オリジナリティとは「発揮する」ものではなく、「似ている」ものを排除することだと思ったのです。