「あの西和彦が、ついに反省した!?」と話題の一冊、『反省記』(ダイヤモンド社)が出版された。マイクロソフト副社長として、ビル・ゲイツとともに「帝国」の礎を築き、創業したアスキーを史上最年少で上場。しかし、マイクロソフトからも、アスキーからも追い出され、全てを失った……。IT黎明期に劇的な成功と挫折を経験した「伝説の起業家」が、その裏側を明かしつつ、「何がアカンかったのか」を真剣に書き綴った。ここでは、「おバカ」と思われていた高校時代から、大学受験での挫折について振り返る。

「天才・西和彦」と呼ばれた男は、高校時代に「おバカ」と思われていた!?Photo by Kazutoshi Sumitomo

「成績が悪いのだから、このIQはおかしい」

 僕は、子どもの頃から、「勉強のよくできる子」ではなかった。

 勉強ができたのは妹の泰子のほうだった。彼女は、小学一年生から、ずっと全科目オール5だった。一方、僕は、学校から帰ると、野外で遊ぶか好きな本を読みふけるかで、勉強をほとんどしなかった。おかげで、小学一年生の時がオール3、二年生の時がオール4、五年生になってやっと5がいくつか、という感じだった。

 僕は自分のことをスロー・スターター(Slow Starter)だと思っているが、それは、小学生時代の成績でつくった自己イメージなのかもしれない。ただ、成績全般を見ると、妹のほうが出来ていたが、算数や理科など好きな科目では、妹を引き離しているという自信はあった。要するに、好きな科目には熱中するが、それ以外の科目には身が入らなかった“変な子”ということなのだろう。

 小学三~四年の頃には、こんなこともあった。

 学校で全生徒を対象にIQテストを行ったのだが、僕のIQは191と出た。すごくよい数値だった。しかし、先生はおかしいとか言って、もう一回テストをやらされた。すると、今度は200を超えた。それでも、先生は「やっぱり、おかしい」と言う。「こんなにIQが高いのに、こんなに成績が悪いはずがない」と言うのだ。それで、結局IQ150ということにされた。そんなんありか?

 とは言え、実際に高いIQが出たのは、僕自身嬉しかったし、これはなかば自慢話ではあるが、正直なところ、今は「IQが高いからどうした?」という気持ちだ。IQが高いということと、本当の意味で「賢い」ということには何の関係もない。ただ、パズルが上手なだけだ。そして、僕は、自分を「賢い」と思ったことはない。

 中学は地元の公立中学に通った。

 中学時代は、成績が常に10番以内にあって好調だった。ただ、両親が教育熱心なのに閉口した。漢文、古文、現代国語、小説、ピアノ、英語など、家庭教師をつけてスパルタ式に叩き込まれた。

 おかげで、学校では、授業を聞いているだけで内容は理解できたし、試験でもよい点が取れていたが、内心では両親に対する反発心もあった。でも、それをあからさまに表現することはできなかった。よい子だったのだ。

 そもそも、僕は、子どもの頃、あまり両親に甘えた記憶がない。母方の祖母が創業した須磨学園の経営で両親は忙しかったし、家では学校の仕事の話ばかりしていた。

 褒められた記憶もあまりない。家で褒められるのは、いつも妹だった。多分、両親は、男子だった僕は褒めて伸ばすよりも、ダメなところを叱って頑張らせるほうがいい、と考えていたのだろう。僕に対しては、とても口うるさかったし、勉強を無理強いするところがあった。

 それと同時に、とても甘いところもあった。両親は、優しさと厳しさが同居するという矛盾した存在だったので、当時の僕は少々混乱したところもあったかもしれない。ただ、親とはそういうものだ、と今はわかる。