このころの不満が、元アイドル本田美奈子さんへ「すべての打ち合わせに参加すること」という契約プロデューサー・ディレクターとしては越権行為のような発言をさせたのかもしれない。

 しかし、本田美奈子さんは91年から東宝できたえられていた。大勢のスタッフ、海外の演出家、作曲家などと長期間にわたって取っ組み合ってきたのである。チームプレーにもなじんでいた。すでに孤独なアイドルではない。

 また、岩谷時子さんの薫陶を5年間も受けている。戦後ポピュラー音楽を代表する大歌手、越路吹雪さんの技術や音楽性をたっぷり学んでいた。百戦錬磨のミュージシャン牧田和男さんの「宣戦布告」は望むところだっただろう。

 ちょうどこのころ、ミュージカルの経験、岩谷時子さんとの交流について、雑誌の取材に次のように語っている。「Junction」の経験も踏まえた発言だ。

 「もちろん歌唱力とか音域も含めて変わったと思います。歌いながら言葉やメロディーやアレンジを細かく作り直していったり、(略)ピアノだけじゃなく、バイオリンやベースや、ひとつひとつの音と対話しながら歌うすばらしさがすごくよくわかりました。(略)作詞家の岩谷時子先生が、1日10回感動しなさい、そうしたらすばらしい女性になれるって言ってくださったんですね。1日に10回も感動するなんて、普通に生きている人にはありえないことですよね。自分の心が落ち着いていて、澄んだ心じゃないとそういう気持ちにはなれないと思うし、歌もそういう気持ちで歌わないと、人に感動を与えられる歌にはならないんだな、とその時に思いました」(「本田美奈子インタビュー」月刊誌「クラビッツ」創刊0号、1995年2月28日、ソニーマガジン)

 この記事の冒頭でも「ずっと歌っていこうと思っているから、結婚しようが、子供ができようが、やっていける自信がある」と語っている。数限りない話し合いとトレーニングを経験し、演奏で対話する経験を積んでいる。腹の据わった姿が見えるようだ。

 牧田和男さんの姿勢も徹底していて、アルバム4曲目の「私たちのTreasure」には「タンバリン:本田美奈子」とクレジットされている。つまり、伴奏のタンバリンまで叩かせていたわけだ。本田さんは「手が真っ赤になるまでやらされた」と述懐していたそうだ。

「晴れときどきくもり」には宮沢和史さん(1966-)の作品が3曲収録されている。宮沢さんはThe BOOMを率いて92年に沖縄語で歌った「島唱」を発売し、ベストセラーを記録している。ペンタトニック(五音音階)を使い、沖縄やアジア各国の光景を混合させた独自の歌で知られる。

 宮沢さんは93年12月31日、第35回日本レコード大賞ベストソング賞を受賞しているのだが、この日プレゼンターとして登壇して「命をあげよう」を歌い、The BOOMを紹介したのが本田美奈子さんだった。

 宮沢さんの作品3曲のうち、2曲がシングルカットされている。なかでも「かげろう」(作詞作曲:宮沢和史、編曲:安西直宗、宮沢和史)はすばらしいバラードである。後奏でかなり長い裏声のアドリブ・スキャットを入れ、最高二点ニ(hihi D、レ)を伸ばして美しく終わる。残念ながらベスト盤「LIFE」には収録されていない。