1つの答えにとらわれない
「アート思考」の重要性

末永 「焦って言語化しないほうがいい」というのは、アーティストにも当てはまりますね。芸術家にとっては作品そのものが表現であり、一種の「言語」です。だから、無理に言葉で説明しようとしなくていい。あとから外部の人が解釈する形のほうが自然だと思います。

佐俣 たしかに。末永さんの本にも書いてありましたが、作者が作品に込めたメッセージがあるとしても、見る人は見る人で自分たちなりの勝手な解釈をしていいわけですよね。

末永 私は、いわゆるアート作品、とくに絵画のすぐれているところは「解像度が低いこと」だと思っています。言葉もすごく解像度が高いかといえばそんなことはなくて、現実にはいろんな解釈の余地もあるでしょう。でも、1枚の絵は言葉と比べるとかなり解像度が低くて、だからこそ解釈の幅が生まれますよね。

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佐俣 解像度が高くなればなるほど、ほぼ全員が同じ答えにたどりつくようになりがちですよね。それよりも、みんなが別々の解釈ができるほうが楽しい。

末永 世の中では「誤解なく伝わるわかりやすさ」が歓迎されがちなんですが、アートの世界を見ていると、「解像度が高ければ高いほどいい」って本当かな?と思えてきます。むしろ、アート作品の魅力は「解像度の低さ」それ自体にあるわけですから。

佐俣 ぼくも起業家という生き物の「目に見える部分」、つまり「花」にはあまり興味がないんですよ。

たとえば、起業家志望の大学生が必死に事業アイデアや見込み数字をプレゼンしていても、その内容はほとんど聞いていなかったりします。むしろ、「なんでこの子は、こんなに暑苦しいテンションで話しているんだろう……」なんて考えていたりする。

異常なほどつくり込まれたスライドを持ってきた子であれば、「どうして彼はここまでのパワポ職人になったのだろう……」というように、プロセスのほうが気になってしまったり。

末永 私の授業でも、咲いている「花」ではなく、「タネ」から「根」の部分を見ていくことを大切にしてきました。

でも、いまだに家庭でも学校でも、成果物・作品だけでその人の達成度を評価する傾向はなかなか変わりませんね。その最たるものが受験でしょう。だからといって、「受験に美術を取り入れればいい」という単純な話ではありませんが……。

それに、企業などで働く社会人になれば、やっぱり成果で評価せざるを得ない場面はあるでしょう。だからこそ、学校の美術の教室では、あえて「タネ」や「根」のプロセスの大事さを、生徒たちに実感してほしいなと思っています。

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(後編に続く)