ベッキーさんたちの「流出LINE」は結果として本物だったが、文春が報じた時点では何も確たるものはなかった。文春側は情報源を絶対に明かさないので、「たぶんあのあたりがネタ元かな」と推察するしかない。また、その情報源が「証拠」を捏造していないとも限らないのだ。

 このように、出所不明の画像や文書というのは、報道をする際に非常にリスクが高い。だから、新聞やテレビは「怪文書」を報道しないのだ。

 実は世の中に出ていないだけで、霞が関や永田町、そして大企業には、よく怪文書や怪情報が飛び交うものだ。特に官僚は怪文書が大好きで、「誰それが不倫をしている」「誰それが不正をしている」といったことがよく書かれており、マスコミの記者の手元にはそれが頻繁に届く。

マスコミが「中立だ」と言っても
ダブルスタンダードにしか見えない

 しかし、当たり前だがそんなものは決してニュースにもならないし、ワイドショーでも扱わない。裏の取れない情報は扱わない」というのは報道機関のルールであり、矜持なわけである。それはそれで素晴らしいことだと思うが、最大の問題はそのご立派な姿勢が、時と場合によってコロコロ変えられることだ。

 たとえば、いつもならゴミ箱にポイ捨てするような出所不明の怪文書でも、政権批判につながるような内容であれば、「信頼のおける内部告発」として大きく取り上げる。相手が弱っていて、文春にまる乗りした方が数字を稼げるとなれば、出所不明の「流出LINE」でも巨大ボードにしてお祭り騒ぎをする。

 マスコミは「我々は中立だ」と胸を張るが、我々のような一般庶民の目には、どう見てもダブルスタンダードにしか見えない。

 前回の『米大統領選の「本当の惨めな敗者」が、トランプではなくマスコミである理由』の中でも触れたが、かの国のマスコミ不信が想像以上に深刻になっていることの原因の1つが、「俺たちは常に正しく、批判する連中は偏っている」という独善的なノリが、一般市民の感覚と大きく乖離してきたことにある。