マンハッタンで味わった恐怖

 アメリカで活動を始めて2年ほど経ち、翌日に講演を控えたある夜のこと。僕たちはクタクタになって、マンハッタンの高級ホテルに到着しました。

 その頃の麻理恵さんと僕は講演や取材のために、連日アメリカの主要都市を飛び回る日々。この日も別の都市で講演を終えてニューヨークに移動し、何とかホテルの部屋にたどり着きました。

 多忙な僕たちに配慮し、出版社は夜景のきれいな部屋を取ってくれていました。でも僕たちは疲れ果てて夜景を楽しむ余裕もないまま、すぐに眠りにつきました。

 麻理恵さんは、もとは人前で話すのがとても苦手で、初対面の人の前では沈黙するくらい人見知りが強いタイプです。それでも「こんまりメソッド」を伝えるには講演も必要だと考えて、頑張ってくれていました。僕も講演を続けることが何よりもいい方法だと思い込んでいました。

 ちょうどその頃、麻理恵さんは世界最大級のテクノロジーと芸術の祭典「サウス・バイ・サウス・ウエスト(SXSW)」で45分間のメインステージを務めました。英語に自信のない麻理恵さんは、45分間のスピーチを一言一句丸暗記して臨んだほど。一生懸命、周りの期待に応えようとする人なので、余計に消耗していたのでしょう。

 2015年には第一子、2016年には第二子を産んだばかりで、僕や周りの人たちも全力でサポートしてはいたけれど、肉体的にも精神的にも疲れがピークに達していたようです。本人も後でそう振り返っていました。

 夜中にふと目を覚ますと、窓辺に立つ彼女に気がつきました。明らかにただならぬ雰囲気です。まるでこのまま飛び降りそうな、異様な切迫感が漂っていました。

 ―─ヤバい!!!

 抱きかかえるように彼女をつかまえ、「明日も早いから寝よう」と寄り添い、手を握って彼女が寝息を立てるまで見守りました。僕も横にはなったけれど、窓際に立つ麻理恵さんの姿が目に焼きついて一睡もできません。ひたすら天井を見つめながら、朝日がのぼるまで考え続けました。そして、決断したのです。

 もう、講演の仕事はやめよう。取材も減らそう。

 彼女が幸せでいられる分だけの仕事に絞ろう。

大量の仕事を手放したら入ってきた、こんまりNetflix進出の裏側