あわや担当更迭か?
「暴走族」の見出しで日生が激怒

 大失敗は、日本生命の川瀬源太郎さんの対談。若いときはバイクをブッ飛ばしていたという思い出話が固い生保の会社の社長らしくなく痛快で、ついついタイトルを誇大にしすぎました。『元「暴走族」が日本生命社長になるまで』。

 見本誌がでたとき、日生の担当役員から大変なお叱りを受けました。編集部は全然反省していません。「面白そうな社長だと思うし、雑誌を読んだら、本当の意味での暴走族じゃないとわかるからいいじゃない」なんて調子ですが、現場では顧客と1人1人生保レディーが交渉するのが業態です。顧客が雑誌を全部読んでくれるわけでもありません。こちらがもっと注意すべきでした。

 その上、劇団四季といえば日生劇場。お膝元の一番大事なクライアントにそんなタイトルをつけたら、担当を外されても仕方がなかったのですが、翌日からも何もなかったかのように担当させていただきました。

 そして、この対談の第1回はカネボウの伊藤淳二さんでした。秘書でありながら、何回も会社に辞表を提出し、クーデターで社長を追い詰めて辞任させ、自ら社長となった彼の人生は本当に生臭い物語でした。速記者が「こんな面白い対談初めてです」と、対談後にいわれたのも初めての経験です。が、後日談はもっと生臭いものでした。

 対談を読んだ次の日に、当時の中曽根総理から浅利慶太さんに電話がかかってきたそうです。

「あの男、使えるな」

 そこから伊藤淳二氏は、日航再建に送り込まれます。

 中曽根首相は、官邸記者クラブをすっ飛ばして、文芸春秋巻頭グラビア「日本の顔」に登場しました。これは雑誌にとって初めてのこと。浅利慶太さんと中曽根さんと当時の堤尭編集長の関係が生んだ、一種の「メディア革命」だったと思います。