「違う人」の存在を知り、理解する姿勢こそが大切

 文部科学省の「外国人児童生徒等の教育の充実に関する有識者会議*16 」では、「在留外国人や外国人児童生徒等が増加する中で、これからの日本社会の在り方としても、多様な文化的背景や価値観を持つ人々を尊重し、共生することが求められている」と発信している*17 。令和の時代である2020年代は、ダイバーシティ&インクルージョンというキーワードのもと、「多文化共生社会の実現」が絵に描いた理想像から現実の世界へと移行していく時期だ。「外国にルーツを持つ子どもたち」や保護者である大人たちと接し続けている枦木さんは、そうした社会変化の過程をどう見ているのだろう。

*16 「外国人児童生徒等の教育の充実に関する有識者会議」は、2019年/令和元年6月20日~2020年/令和2年3月10日に開催
*17 2020年/令和2年3月27日「外国人児童生徒等の教育の充実について(報告)」より

枦木 まだ、まだ、社会全体、多様な人たちの「受入れ」については、制度も認識も十分でないと思います。私たちとの関係が深いのは「外国にルーツを持つ子どもたち」や保護者(親)ですが、日本人同士でも多様な価値観や異なる属性への理解が問われている状況でしょう。たとえば、「校則」もそうですね。髪の色ひとつをとっても、地色が黒ではない人もいるのに、例外を認めない場合があります。いまや、これだけ多様な人たちが生活する社会ですから、時代錯誤の価値観は変えるべきではないか、と。昔は全員一様で当たり前のように行っていたことについても、「このままでいいの?」と問い直すことも、求められるでしょう。

 地域の中で、自分と異なる文化や生活習慣を持つ外国の人と時間を共にすることがこれから増えていきます。お互いのことを知り、学び合うことが必要だと思います。日本の方法がすべてではなく、この国では日本人がたしかにマジョリティですが、数の力で押し通すことは正しくない。

 たぶんかフリースクールでこんなことがありました。同じクラスで学ぶ中国の子どもたちが、新しくできた多様な国の子どもたちがいるクラスを見て、「外国人がいっぱいいる!」って言ったのです。学校の外に出れば、自分たちも外国人として見られているのです。けれども、多数になるとそうでない人を「違う人」と思うのです。こうした発想は、大人も子どもも、私たち誰でも持つものです。日本人も外国に行けば、少数者としてさまざまな壁にぶつかります。「違う人」の存在を知り、違いを大切にし、学び合う姿勢こそが大切でしょう。

※本稿は、現在発売中のインクルージョン&ダイバーシティマガジン「オリイジン2020」からの転載記事「ダイバーシティが導く、誰もが働きやすく、誰もが活躍できる社会」に連動する、「オリイジン」オリジナル記事です。