「きこえない人」は助けてもらう立場ばかりではない

 いくつもの印象的なシーンがある「きこえなかったあの日」――なかでも、山梨県の高校生(身延山高等学校 手話コミュニケーション部)が被災地の高齢者たちに手話を教えるシーンと西日本豪雨*13 の被災地で聴覚障がい者たちがボランティア活動を行うシーンはことさら記憶に残るものだ。

*13 2018年6月末から7月にかけて、前線や台風第7号の影響により、日本付近に暖かく非常に湿った空気が供給され続け、西日本を中心に広い範囲で記録的な大雨となった。6月28日から7月8日にかけての総雨量は、四国地方で1800ミリ、東海地方で1200ミリを超えるなど、7月の月降水量平年値の2~4倍となったところもあり、48時間雨量・72時間雨量などが、中国地方、近畿地方といった多くの地点で観測史上1位となった。結果、死者263人、行方不明者8人、住家全壊6783棟、半壊1万1346棟を記録した。(国土交通省「平成30年7月豪雨による被害状況等について第50報」/消防庁による集計結果より)

東日本大震災から10年、「きこえなかったあの日」が伝えてくれる真実山梨県の高校生たち(身延山高等学校 手話コミュニケーション部)が被災地の高齢者たちに手話を教えるシーンは印象的だ

今村 身延山高校の高校生とは、映画『架け橋 きこえなかった3.11』でのご縁でつながりました。彼ら彼女たちが加藤さんの暮らしている災害公営住宅を訪問し、高齢の方々に手話を教えたのです。映画の中でも、とても明るい場面になっていますよね。「若い」ということは、それだけでエネルギーに満ちています。若い人がそばにいるだけで元気をもらえる。なにしろ、加藤さんの周りの「きこえる人」たちが手話に興味を持ってくれたことがうれしかったです。加藤さんも、あの時間がいちばん生き生きした表情をしています。

 西日本豪雨の被災地を私が訪れた理由は、東日本大震災のときと同じように、被害に遭われた「きこえない人」たちがどう困っているかを、撮影を通じて世の中に伝えたかったからです。しかし、現地に行ってみたら、「きこえない人」が誰かを助ける立場になっていてびっくりしました。ボランティアで動いているたくさんの「きこえない人」たちがいて、「これはすごい!」と思い、すぐにカメラを回したのです。

 西日本豪雨の発生直後に広島県ろうあ連盟の臨時理事会で、「西日本豪雨災害ろう者対策本部災害ボランティアセンター」の立ち上げが決定し、35日間で、ろう者106人(県外から18人)、手話のできる聴者40人(県外から3人)のボランティア登録があったという*14 。その実際の活動を見届けた今村さんは、当時のことをさらにこう振り返る。

*14 「きこえなかったあの日」プレスリリース「『西日本豪雨災害ろう者対策本部災害ボランティアセンター』について」より

今村 「きこえない人」のボランティア活動は全国でも初めてのことだったので、「危ないのでは?大丈夫なのか?」という心配の声が周りの皆さんからあったようです。でも、私には心配な気持ちはありませんでした。手話のできる人も一緒にいましたし、手話がたとえ通じなくても身振り手振りでコミュニケーションが取れるのではないか、と。

 そして、撮影中に、私は自分の「思い込み」に気づきました。“「きこえない人」は助けてもらうばかりの立場”という思い込みです。「そうではない」と心のどこかで分かってはいたものの、そうした思い込みがあったのはたしかです。

 だから、この場面は、「きこえない人」自身に見てほしい。私みたいに、「きこえない人」の中にも思い込みがあるはずです。「自分は助けてもらう立場だ」と…でも、必ずしもそうではないんですよね。「きこえない人」が「きこえる人」を助けることもできるのです。コミュニケーションがうまく取れないのではないかという考えがよぎり、「きこえない人」は、目の前の困っている人を助けたい気持ちがあってもあきらめてしまうことがあります。でも、ボランティアセンターのような機関があれば、みんなで安全にできるはず。この映画を「きこえる人」たちにも見ていただいて、災害救助や支援の場で「きこえない人」たちの活躍の場が広がっていけばうれしいですね。