被災した方々の「心の復興」はまだ成し得ていない

 制作に10年の歳月をかけたドキュメンタリー映画「きこえなかったあの日」――生まれ故郷の名古屋を拠点に創作活動を続けている今村さんだが、すでに次回作の構想はあるのだろうか。

今村 これまでは、「きこえない人」やLGBTといったマイノリティの人たちに焦点をあててきましたが、次は、「マジョリティ」にカメラを向けたいと思っています。いったい何が撮れるだろう?と。いまはまだ考えている段階ですが、撮影を通じて見えてくるものに興味があります。

 私は、マジョリティの人たちに対して、それこそ、「きこえる人」というふうにひとくくりにしていました。でも、そうではないのだと気づきました。一人ひとりと話をして、「知りたい、分かる過程を楽しみたい」という気持ちが出てきました。撮ることで自分の思い込みや先入観を変えていきたいと思っています。自分の思い込みによる世界から抜け出したい。LGBTの方々を取材したときも、それまで気づかなかったことを知り、自分の世界が広がってうれしかったので。

 撮りたいものは、あくまでもドキュメンタリーで、いまはフィクションには興味がありません。先が見えていない方が好きなのです。撮影期間はいつも決めていません。撮りながら考えたり悩んだりして、ゴールが見えてきたときに編集作業に入っていきます。

 あの日2011年3月11日の東日本大震災から10年――改めて、今村さんにとって、この10年間とは? いま、東北の復興を見つめる眼差しは?

今村 そうですね…個人的には10年間はあっという間だったような気がします。東北の被災地には毎年行きました。平均すると、年3回くらい…10年で30回ほどになります。1回で1泊2日か2泊3日の短い期間ですが、そうしたなかで感じたことは、被災地のライフラインの復興は意外に早かったな、と。もちろん、これは私個人が訪問した範囲での感覚ですが、交通網も市街地も整備され、「目に見える復興」は最初の2〜3年で、ずいぶん進んだと思います。でも、仮設住宅から災害公営住宅*17 に移った方々の苦労がなくなったわけではありません。孤立感を覚えている人もたくさんいます。心の復興はまだ途中なのです。

*17 災害公営住宅および民間住宅等用宅地の供給状況は、復興庁のページで明らかになっている。また、宮城県は「東日本大震災からの復興 災害公営住宅整備の記録」をホームページで公表している(PDFファイルをダウンロード可)。

※本稿は、現在発売中のインクルージョン&ダイバーシティマガジン「オリイジン2020」からの転載記事「ダイバーシティが導く、誰もが働きやすく、誰もが活躍できる社会」に連動する、「オリイジン」オリジナル記事です。