1959年からは、故郷であるアラバマ州フローレンス周辺には複数のラジオ局を開局。サムの興味もレコーディングから、ブロードキャスティングへと移行していきます。

 RCAに移籍したエルヴィスは、テネシー州ナッシュビルに今も残る伝説の「RCAスタジオB」に優れたミュージシャンたちを集め、「ハートブレイク・ホテル」「ハウンド・ドッグ」「ラブ・ミー・テンダー」など、後にエルヴィス・クラシックとなるヒット曲を増産します。

 RCA移籍初年度となる1956年には、エルヴィスのレコード売上が全米トップとなり、この年のRCAの売り上げの約半分をエルヴィスのレコードが占めたことになります。こうして大成功を手に入れたエルヴィスが、翌1957年に購入した大邸宅がメンフィスの「グレイスランド」というわけです。

 以来彼は、この邸宅で両親とともに暮らし始め、1977年8月16日に心臓発作で亡くなるまでの生涯をこのグレイスランドの地を拠点として活動していました。ハワイのノースショアやビバリーヒルズにも豪邸を構えましたが、グレイスランドだけは手放すことはありませんでした。

 没後エルヴィスは、広い庭園にあるプールを背にした半円形の墓地に、祖母・両親と共に埋葬されました。一般公開されているグレイスランドは、現在でもメンフィス一番の観光スポットとして連日賑わっており、エルヴィスの命日には世界中から膨大な数のファンが訪れています。

 ロックンロールの黎明期に素晴らしい作品を送り出したサムは、1986年に「ロックンロール・フォール・オブ・フェイム」の栄誉ある初の殿堂入りの1人に選ばれ、以後、数々のアワードを受賞しました。晩年は呼吸器疾患で入院生活となり、サン・レコードの録音スタジオは「サン・スタジオ」という名で米国歴史建造物に認定される前日の2003年7月30日に、メンフィスの病院で亡くなりました。

※この原稿は、著者の音楽雑誌出版社勤務時代や米国で扱った数多くのインタビューに加え、これまでのイギリスでの取材活動において得た情報をもとに構成しています。

Text by Hidehiko Kuwata

text / 桑田英彦
Profile◎編集者・ライター。音楽雑誌の編集者を経て、1983年に渡米。4年間をロサンゼルスで、2年間をニューヨークで過ごす。日系旅行会社に勤務し、さまざまな取材コーディネートや、B.B.キングをはじめとする米国ミュージシャンたちのインタビューを数多く行う。音楽関係の主な著書に「ミシシッピ・ブルース・トレイル」「U.K.ロックランドマーク」(ともにスペースシャワーブックス)、「アメリカン・ミュージック・トレイル」(シンコーミュージック)、「ハワイアン・ミュージックの歩き方」(ダイヤモンド社)などがある。帰国後は、写真集、一般雑誌、エアライン機内誌、カード会社誌、企業PR誌などの海外取材を中心に活動。アメリカ、カナダ、ニュージーランド、イタリア、ハンガリーなど、新世界のワイナリーも数多く取材。
「ロックの歴史を巡る旅」サン・レコードと エルヴィス・プレスリー伝説