(3)親⇔子
さらに先もある。発注者⇔受注者という他人の関係から、(1)先生⇔生徒または、(2)友人⇔友人の関係を経たのちに、(3)「親⇔(ある成長段階までの)子」のような甘え、甘えられる関係にシフトするのだ。一般的に、親子は成功をともに喜び、失敗をともに悲しむ。親子関係は、他のどの関係よりも優先されるものである。
他人同士が人工的に親子の関係に近いところにたどり着くには、「行動のコピー」と「尊敬の念の表明」が必要である。DNAを受け継ぐことはできないが、あらゆる場面で上司のまねをすれば、上司からは自分の分身のように見える。
また、常々、「私が今日あるのは上司の指導のおかげです」と外部で言い続けていると、それを人づてに聞いた上司は、子の成長を見る親のような気になり、愛情をもって接してくれるようになる。昔なら、最終的には上司に結婚式の仲人のような私的なイベントでの頼み事をすることで、上司は完全に親代わりの存在になる。ここまでくれば、部下が他人に「浮気」しない限り、かなり安泰な状況である。
こうしたすべを心得ている人はどんな上司ともうまくやっていけるし、少々の失敗も許容される。一方で、永遠に発注者と受注者の関係にとどまる人は、常に高い成果を出し続けない限り、高い評価は得られない。
ちなみに、私はこの方法を見事に実行する“ずるい人”を見るのがとても嫌いであったし、今も嫌いである。読者にもこうした処世術はまったくおすすめしない。本来公的な仕事の世界に、私的な世界を持ち込んで上司を制御し、自分の立場を高めようとするのだから。
ただし、高度成長期には、公私を分けず、疑似ファミリー的な形に持ち込んで仕事を進めるのが普通だったし、顧客をもそのような形で取り込むことを良しとしていた。このような方法で曲がりなりにも企業は高い成長率を実現できたのだから、一概に否定すべきものでもないのだろう。
甘え上手な人が
“反則”技で出世していく
しかしながら、現在は一部の天然の甘え上手と一部のずるい人以外は、こうした技術を使わないから、これができる人は組織において圧倒的に有利になる。
仕事の仕方を成果をジャッジするはずの上司に教わり、その通りやることでリスクヘッジし、成功したら評価を高め、仕事以外のところで恩を売り、外部にうちの上司は素晴らしいと触れ回って、愛情を獲得し、大した努力をすることもなく、会社で高いポジションを得る……これを反則と言わずしてなんと言おうか。
ただ、法的にも会社の就業規定など各種の規定に照らしても、これらは反則には該当しない。グレーゾーンですらなく、真っ白である。だからこのような行為は糾弾できない。