マスコミの「キャラ変」が日本の世論を一転させてしまった

 なぜこうも見事に「コーツの予言」が的中したのか。言い換えれば、なぜこうも劇的に世論が変わったのか。

「それがスポーツの力だ!」「日本のために頑張っている人たちへの揚げ足取りばかりに、多くの人が嫌気がさしたのだろう」などなど、さまざまなご意見があるだろうが、筆者はマスコミの果たした役割が大きいと思っている。

 忘れている人も多いだろうが、ちょっと前までマスコミの多くは五輪開催に反対していた。日本を代表する一流ジャーナリズム機関「朝日新聞」は社説で「夏の東京五輪 中止の決断を首相に求める」(5月26日)と表明し、ワイドショーでも、立派な専門家・評論家の皆さんが「こんな時期に五輪なんて国民の命を犠牲している」と唇を震わせて怒っていた。

 しかし、今どうなったかというと、人が変わったように五輪をエンジョイしている。朝から晩まで、誰が何色のメダル獲得したと号外ニュースを連発し、ワイドショーでも「他にニュースはないの?」と思うほど「メダリスト歓喜の瞬間」をエンドレスリピート。コメンテーターも「感動をありがとう」「勇気をもらいました」と大ハシャギしている。

「五輪には反対だが、アスリートは応援しています」的なことさえ言っておけば、すべてチャラになるということなのだろうが、ハタから見ていると、「もしかしてサイコパス?」と心配してしまうほどのキャラ変だ。

 このようなマスコミの劇的な変化が、劇的な世論の変化につながったのではないか。というのも、実は、前回の東京五輪の「前科」があるからだ。

 よくマスコミは「1964年の東京五輪も直前まで世論は盛り上がっていなかった」みたいなことを言っているが、これは正確ではない。「直前になってマスコミが手のひら返しで盛り上げた」のである。

 1964年の東京五輪前、マスコミはかなり否定的な論調だった。それが本番が近づくにつれて徐々に五輪肯定ムードを醸し出し、開催したらしたでメダルラッシュで一気にお祭り騒ぎをしたのである。今回も程度は違えど、同じプロセスを踏襲している。