こうした新型コロナへの“特別な反応”は、行動経済学で言うところの、フレーミング効果が働いている、つまり同じものでも情報のどこに焦点や関心が当てられるかで認識が違うということなのかもしれない。

日本人の医療的な管理政策を
受け入れやすいメンタリティー

 だが私は、より深い問題として、日本人の多くが、自分のたちの日常生活に医療・生命科学が入り込み、「健康」について専門家の言うことを過剰に意識し、(マイナンバーカードや機密情報保護法等には徹底的に反対する人でも)医療的な管理政策を受け入れやすいメンタリティーになっている、ことがあるのではと思う。

 社会学者のイヴァン・イリイチは『医療の限界』(邦訳タイトル『脱病院化社会』、1975年)で、「健康」に関係するあらゆる問題が、医療専門家によってコントロールされるようになった結果(医療化)、さまざまな新たな“病気”が生み出され、人々は常に何らかの健康不安を抱え、医療的な措置を必要とする状態に置かれていることを、「医原病 iatrogenesis」と呼んで問題視している。

 例えば、受動喫煙を防止するための禁煙やメタボ判定のための職場での定期健康診断の義務化はデフォルトになった。健康診断を受けないと、大学への入学や就職ができないというのも、医療化の帰結である。

 コロナでも、政府がワクチン接種は義務でないと強調しているにもかかわらず、多くの大学が、学生や教職員が新型コロナワクチンを接種している。表向きは対面授業を行うためとしているが、これも医療化の帰結であろう。

 これによって、新たな「医原病」が生み出されるかもしれない。

自宅療養のコロナ感染者が
亡くなることへの批判の正体は?

 医原病には、(1)臨床的医原病、(2)社会的医原病、(3)文化的医原病の3つの種類がある。

 臨床的医原病とは、治療する必要がない、あるいはその療法では効果がないと分かっているにもかかわらず、医師の判断で過剰な投薬や不要な手術を行い、かえって深刻な病気を引き起こしてしまうような事態だ。

 子宮頸がんワクチンの予防接種の深刻な副反応によって障害を負ってしまうことなどはその最たる例だが、新型コロナワクチンについても、すでに同様のことが議論になっている。